日記

辛い時、悲しい時には何かものを作ればいいのだ。
私がまだ美大に行ってみたいわん♪と思ってた時に作品を見てくれていた先生が言っていた言葉だ。その言葉は創作するということのみでご飯を食べるのを夢見なくなった今でも心に残っている。気持ちの揺れが強くなる時、たしかに面白い言葉を作れている気がする。

私は基本的に明るい方だ。25歳になってもなお、「明るい」「元気」というおバカ丸出しの第一印象を挙げられることからもよくわかる。でも幸せいっぱい夢いっぱいに生きてきたわけではない。家庭環境は歪なものだったし、親に身体的な傷をつけられたこともあるし、自我が固まってきた時に人間関係で痛い目を見たことも人並みにある。
20代半ばになった現在、やっと少しずつ自分の中の激情を抑えて理性的に落ち着くことが出来てきているが、鳴りを潜めたそれはときたま夜に顔を出す。心がさーっと冷めるような、怖い気持ちが私の中で芽生えてくる。無条件に甘えられる人がいればいいのだが、いたとしてその度に気持ちをぶつけるわけにもいかない。歳をとってよくわかってきたのだが、人間関係の鍵は頻度と距離感である。

あぁ、誰かに話を聞いてほしい。そういう時に最近は文章を書くことにした。目指している公募にエッセイを送ろうと思って、ひたすらにパソコンに向かって文字を打っている。もうそろそろ完成だ。私は社会人としてごく普通のありふれた生活を送っているが、自己承認欲求だけは一丁前にあるという。
私の人を評する感覚は独特であると言われ続けた。であれば変な感覚を周りに撒き散らして、どうにか自分のような人間の、その知覚を知ってほしい。どうしても自分が大好きだ。ほんとうは人を評したいのではない。どう思われているか、評されたいのは私なのだ。