昨年読んだ漫画の中で一番刺さった漫画はA子さんの恋人

「A子さんの恋人」という漫画をご存知だろうか。というか、割とサブカル系漫画を網羅している人ならほとんどの人が読んだことのあるだろう名作だと思う。
昨年、人に勧められてこの漫画を読んだのだがこれがめちゃくちゃ私にとってヒットした。ヒットしすぎて全巻読んだ後に人に貸しまくっている。

 

A子さんの恋人 1巻 (ビームコミックス) | 近藤 聡乃 |本 | 通販 | Amazon

 

この前「A子さんの恋人」を貸した人と会うことがあり、ふと思い出したのでなんとなく感想を書いていこうと思う。以下ネタバレあり

 

 

「A子さんの恋人」はざっくりいうと恋愛漫画のジャンルにあたる。だけど、一口に恋愛漫画といえる作品では無く、個人的にはヒューマンドラマというか、人間関係や自分が囚われていたトラウマみたいなものを精算する漫画だと思った。
一応あらすじを以下に記載する。

29歳漫画家の主人公、A子さん。多摩美卒で学生時代から付き合っていた彼氏のA太郎とうまく別れられず(A子さん本人的には別れているつもりである)、ニューヨークに飛び立ち翻訳家のアメリカ人のA君と付き合うも彼を残し1年で帰国。そこでも持ち前の優柔不断さでA君ともすっぱり切れず、東京・阿佐ヶ谷の地に舞い戻ってくる。2人の間で揺れるA子さんの決断とは...

みたいな感じである。こう書くとめちゃくちゃミーハーな恋愛漫画にみえるが、ドライな線と温かみがある且つ的確なデッサン力のある画風のおかげでいわゆる少女漫画的なにおいが全くしないので、割と「凪のお暇」「東京タラレバ娘」にサブカル要素を注入したような仕上がりになっている。
たしかに作者の近藤聡乃は雑誌「ガロ」の系譜の高野文子を敬愛しているようだ。扱っているモチーフ自体はアラサー女性のあるあるが多いのだが、アーティスティックな雰囲気を醸し出しているのはそのせいだろうか。元々近藤聡乃はアニメーションや絵画などアーティスト活動の方がメインだったと言うので、この漫画自体が割と新しい試みだったんじゃないかな、と思う。

「A子さんの恋人」の話に戻るが、全7巻のうち4巻あたりまではA子さんをとりまく日常を主体としてキャラクターの肉付けがされていくような内容である。腐れ縁とも言える美大時代からの友人のU子、K子、そして元彼(?)のA太郎。美大時代の同級生あいこちゃんや山田、そしてニューヨークに残るA君。A子さんをはじめ彼らはほとんどが名前をアルファベットで表記されている。
A子さんは本当は英子、という名前であるが、その本名が栄子でも永子でも、A子さんという役割を与えられた人物として動き始める。K子もU子も、A太郎やA君もそうだ。1巻では彼らの関係性を作るための役割としてしか動きはじめない。だけど話が進んでいくうちに、学生時代から現代にかけてそれぞれのキャラクターの中身を開いて肉付けがされて、いきいきとしたキャラクター像が浮かび上がってくる。
そのあとの5.6.7巻からは急にギアを切るように、誰しも持っているコンプレックス、トラウマ、過去の悔恨を紐解いていく内容に切り替わっていく。特に、A子さんとA太郎の中に残っていた過去のモヤモヤをそれぞれがそれぞれのやり方で解放していく話がメインになる。

私個人の感想を書いていこうと思うが、A子さんは、やっぱり将来の相手としてはずっとA君しか見ていなかったんだよね、と思った。A太郎は大切な人物ではあるけど、すでに彼女の中では過去の話であり人間関係ではなく彼女の人生の中に置いてきたモヤモヤの一因なのである。6巻あたりからわかってきたことだが、A君に対しては未来という観点でA子さんは見ている。A君とどういう関係を築けばいいのかわからず戸惑っていたのみで、A太郎については過去のことばかり思い出すのだ。これに気づくのに意外と時間がかかった。
それだけに7巻の最後はわかっていたことながらすごく泣いてしまった。過去のことにすっきり答えを出せたおかげで、もう会うことのない人とちゃんと向き合える。7巻の空港での全てのエピソードは、A太郎、A子さん、U子とK子それぞれの思いやりが暖かくて、だからこそ残酷で切なかった。でも、救いがある。ここでの「かわいそうなんかじゃない」「でも悲しいのよ」というやりとりが大好き。そうだよね、悲しいということは全部かわいそうということではないのだ。

他の好きなシーンで言うと、U子が純粋な彼氏のヒロ君との関係に悩んでいるときにA太郎が純粋すぎて気持ち悪いんだろう、みたいなことを言うシーン。すごく分かる。私もどちらかというとひねくれ者の方が好きだ。純粋な人を見ると、絶対何か裏があるんだろう! もしくは、ないのであれば逆に怖い! とか思ってしまうところがある。それは自分が持っている性根が悪いところがあるから、そうじゃない人を見ると警戒してしまうということなんだろう。
だからこそU子がヒロ君との結婚を決めたのはすごくよかった。人はそれぞれ違うし、気の合う人・苦手な人というのは育った環境や好みなどで色々あるんだけれど、そういう違いを受け入れて「一番近い他人」として受け入れている(U子ちゃんは特に)ようなところがいいなと思った。わからない人もいると思うが、「なんだこの人は、よくわからんなあ、だめだなあ」と思いながら付き合っていくことは悪いことでは何一つない。それを面白がれて受け入れられるかどうかの方が大事なのだ。ヒロ君がA子さんにいってた、「A太郎/A君は完璧なA子さんが好きなのではなくて、ふたりで許し合って生きていきませんか、と言ってるのでは」みたいなことを言ってたけど、その時点でそれに一番近いのはU子とヒロ君なのである。

「A子さんの恋人」のよさは、ストーリーの良さや人間のいいとこ悪いとこをうまくポップに描き出すというところもあるが、舞台の忠実さも好きなところである。主な舞台は阿佐ヶ谷で、阿佐ヶ谷パールセンターやジェラート屋にはじまり、谷中・根津、ニューヨークのさまざまな箇所など、実際に存在する場所を使っているので巻が進むにつれてキャラクターが役割で無く一つの人間として動いていく過程にぴったりだった。この漫画を貸した人の1人が、まさに出てくる舞台の8割を訪れたことがあるということで、自分の経験と重ねていたのが少し羨ましかった。私はといえば阿佐ヶ谷にはよく行くが、根津や上野の方にはあまり行かない。ましてやニューヨークなんて飛んで行ったこともないのだから。

 

自分の話にはなるが、私は一時期A子さんのような彼氏がいた。本棚を持っていないのに本ばっかり家にあって、壁の端に積み上げているような。彼も才能面で言えば人に囚われないようなところがあって、それを羨ましがっている自分がいた。そして私はこの漫画を貸した友人から、「串岡ちゃんはA太郎に似てるね」と言われたことがある。性格なのか自分の技術を使ってご飯を食べることをやめたところなのかわからなかったが、たしかにA太郎のエピソードには思い出すところがあって、苦い気持ちになることもあった。
しかし、その彼とは時が経つにつれて関係性が逆転した。私がA太郎みたいな時があれば、A子さんのような時もあったのだ。

結局、人はそれぞれ何かに当てはめられるようなものではない。この漫画のキャラクターもみんな魅力的であり読者のなかにはそれぞれに感情移入してしまうような親近感と人間の綺麗さ・汚さを上手に表している。
でも、7巻の最後でずっとアルファベット表記だったA子さん以外の登場人物の本当の名前(漢字)が判明する。ずっと話が進むたびに肉付けされていた内容がパッと各登場人物に定着して、みんながみんな自分の意思を持ってここまで話が進んだのだという気持ちにさせられた。

「A子さんの恋人」は、普段こういう漫画を読む機会がない人にこそ読んでほしい。それこそ、今貸している人は少年漫画を主に読み、こういった漫画を読むことは少ないらしいがまんまと面白さに呑まれている。
未だに7巻の最後を読み返すと涙を流してしまう。素敵な終わりかただったという思いと、友達のように感情移入していた登場人物との別れが少し寂しい。間違いなく昨年で読んだ漫画の中で一番心に刺さった漫画だ。
手元に帰ってきたらまた読み返してしまうと思う。そして、また、心に矢を立てられる。