人に期待をすること

期待をしないでくれ、と言われることはないだろうか。私はこの言葉を言われることが少し苦手で、特にプライベートな人間関係の中で直接言われることに対してなぜか嫌な思いを持つことがある。では自分が「期待しないで」と思うことがないかと言われると全くそんなことはなく、どちらかというと基本的には期待というプレッシャーは感じずに生きていきたいとさえ思ってしまうところがある(それでも人間関係においての期待に人並み、それ以上に応えたいという気持ちは持っている方だけど)。

この期待しないでほしいという言葉は悪い言葉なのだろうか。また、期待してしまうという感情が悪いものなのだろうか。
経験則ではあるが、期待しないでくれと言われてしまうシーンは大きく分けて二つに分けられる。

ひとつは、「期待しないで」と言う言葉がほぼ意味を成していない、口癖のようなものであること。この場合で持ち出される事柄は成し得ても成し得なくてもそこまで強い意味を持たない場合が多い。これは無意識に出てくる「期待しないで」なのでこの文章では言及をやめておく。

もう一つ、「期待しないで」に含まれる意味が一つの事柄ではなく大きな関係性についての時。これは、大体が「期待しないで」と言った方言われた方、そこに生じる関係の重要性として互いの熱量が釣り合ってない時に生まれるものであると考えている。その釣り合いの取れてなさがめちゃくちゃ悪いということではない。しかしどちらか一方がその釣り合いに不満を持っている(重要視している)場合は厄介だ。基本的に人に期待をするということであげられるのがこのケースで、だから人々は関係性に悩む瞬間がある。

たまに、人に期待をしてるよね、と言われることがある。厳密には言われていた。少し前までは自分が信頼している人間に対して、人間と関わるからこそ、期待をしてしまうというのは当たり前のことだと考えていた。逆に期待されないって、自分の価値を認められておらず求められてないということであり、社会に身を置く人間である以上とても悲しいことなのでは?と思っていた。
だが人間はかなり残酷な部分がある。自分が関わりたい、認識しておきたいという人間以外には何を思われてもいいと思うところがある。人によってその範囲の大きさは違えど、今後一生会わない人間に対して何か期待をして欲しいと思う人は、その時点で不特定多数に影響を与えられる立場に立っていることがほとんどで、日本だけでもそんな人間はひと握り。基本的にはそのように考える人の方が少ないということだ。
自分が相手にとって認識されていたいと思われるかどうかはこちらにはわからない。そうでなかった場合、感情の釣り合いが取れていないので「期待しないで」という言葉が出てくることがあるのだ。

そのことを受け入れるのに時間がかかった。(つーか今でもちゃんと理解してるかはわからない)
私が自発的に関わる人に対して、自分のことを認識して相手の人間関係の中に入らせて欲しいと思っていたし、相手もそうだと考えていた。なんというか、自分と相手の関心度は同じであるだろうという傲慢さのもとに期待をしていることが多かった。
しかし私は忘れていた。興味のない人に対して、自己開示をあんまりしないし相手の話を全然聞かない自分のことを。自分がそうなら他の人間もそういうことはある。そのことを私は忘れていただけだ。

なので、期待をしないでという言葉が悪かどうかでいうと、悪とされるのはせいぜいその事柄や人間関係に関わる人々の熱量に釣り合いが取れている場合のみで、基本的には悪いこととはいえないのかなとぼんやり思っている。
こう考えると、どちらかというと期待してしまう方に非があるような気がしてしまう。そんなこと思いたくないけど!でも、自分がされたらきっとそう思う。期待をすることと希望を持つことは全く違うことなのだ。
しょうがないことなんだろうな。期待するということよりはるかに、しょうがないと感じれることの方が人生に必要な気がしてくる。