我慢ができないことについてのいいわけ

基本的に私は我慢というものが出来ません。これをしない方がいいとか、これはやらない方がいいとか、きっと今住んでいる日本の社会で暮らすにはあった方がいい精神のブレーキというのがあまり機能していないような気がします。元々しつこくて根に持つ所があって、自分が思い込んだことからなかなか逃れられない視野の狭さを持っているので、その我慢のできなさは時に何かをぶち壊してしまうことがよくあります。
特に感情の起伏については我慢のがの字も持ち合わせていないように感じます。嬉しい時は嬉しいし嫌な時はとても嫌、素直といえばそれまでなんですが、私も自立した社会人ということで素直さだけで日々戦うには人間的な他の魅力が足りません。なんならその我慢のなさを悔いておらず開き直っているようにさえ……

好奇心が旺盛な方なんですがそれは悪い方にも作用することがあります。これを言ったらこの場がヤバいことになるだろうな、という場面でも自分の感情を優先して言ってはいけないことを言う時があります。そういう時は大体最悪な事態になって相手から嫌われたり嫌がられたり傷つけることがほとんどでした。大変なことです。もちろんそういう状態になった時は、やってしまったと罪悪感とか落ち込みとかも持っているのですが、同時に言ってスッキリしたとも思ってしまう自分がいます。相手のことを考えるという行動があまり備わっていないので、客観的に見ると私はとても嫌な人間に属する時があって、本当に困ったものだなと思います。
この我慢のできなさがいい方向に向かう時もあったりもします。持っている感情が良いものであったり、雰囲気的に指摘できないけど本当は指摘した方がいいという時に空気が読めない我慢のできなさがうまく作用するときがあります。時に、相手を照れさせたり喜ばせたりもします。こういう時は大体相手が私に好意を抱いている場合に限りますが。

こういった悪い我慢のできなさと良い我慢のできなさが相まって、人から感情の起伏が激しいと言われることがまあまあありました。
前の会社で上司がその会社の社長だったときがあって、まあ仲も良かったので何でも言われてたんですがその人が私に「躁鬱……」といいかけて口をつぐんだのを覚えています。ヤベっと思ったんでしょうか。診断されたわけでもないので分からないんですが、確かに似ている部分があると思うんです、激しく陽気でせかせかしていると思ったら急にダウナーになって変なこと言いまくったりしてるんで。しかし、病気というよりはただ単に私が幼くて自分の気持ちを我慢ができないというだけにも思えるんですよね。
我慢のできなさ含めて私を受け入れてくれる人達には感謝の気持ちが絶えないし、ありがたいと思っています。つまりそういう人達以外には何らかの部分で「こういう所が、本当に、、」と思わせてしまっている可能性があるんじゃないでしょうか。現に深い仲になった異性の多くと袂を分かつときにパッタリと縁がなくなるのですが、最終的に嫌なやつだなと思われて、それは私のよくないところが理由のひとつだと思っています。

じゃあここまで分かっていて自分を変える努力や選択をしているかと言われるとこれまで一度も無かったと思います。今の私はそれでもしょうがないと思っているからです。
前に仲が良かった人で、自分の嫌なところを理解して、かつ本当は変えたいんだと言っている人がいました。しかし親しかった一年半、その人が自分の言う悪い部分を変えようとしたところを私は認識できませんでした。知らないところで努力をしたり意識を変えたりしていたとは思うんですが、私にはよくわかりませんでした。いいとか悪いとかではなく、彼は結局そのままでも不自由ないとどこかで思っていたのかもしれません。

そうすること自体、悪いことだとは思わないしそれでいいのではないかと思います。私も同じです。結局人の行動などが変わる時の多くが、自分に不利益があったときで、不自由していないうちはそのままでもいいのかな、と思うからです。私のこの我慢のできなさが変わる時は自分のしていることが本当の本当に意味のなく、周りに嫌な気持ちを振りまく可能性があって、自分の評価や信用を落としたと実感した時だと思います。そして実感した時には大体が手遅れなので、きっと後悔したまま生きていくのだと思います。それもまた選択のひとつだと思います。
そんなふうになりたくないけれど……