喉から手が出て顔を掴む

すごく言われたかった言葉を、丸々そのままじゃないけど言ってくれて嬉しかったことがあった。泣くまい泣くまいと思ってたけれどやっぱり泣いた私を見透かしていたからか、笑われた。わがままだけど我慢していたのに心のダムが決壊して、ざあざあ感情をぶつけたが、疲れているのに受け止めてもらった。

疲れているとは聞いていたけれどそれを実感したのが少したった今であるから、当人には感謝したくてもタイミングが悪くてできていない。だからこの場に感謝を置いておいて、必要な時に取り出そうと思っている。私はやはり視野が狭くて自分勝手だが、下手に心を抑えつけるよりその方が良かったと気づくのに時間がかかった。

いつもそうだ。相手が窮地にいればいるほど相対して私は不安定になる。自分のことしか考えられずに妄想をして自滅する。男女、立場、コミュニティ関係なくそうなる。
相手の気持ちの余裕にいつも助けられている。申し訳ない気持ちがあるが、ここは受け止めてくれる私の周りの人間にまずは感謝しようと思う。代わりに、相手が追い詰められた時に自分もそうすることができるようになれればいいなと思った。ひとりで、そんなことを考えている。

そうめんとの共存

お題「夏に食べるもの」

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毎年、6月あたりから「おや、今年も半袖が着れるようになってきたな」と、冬から続く長袖の服たちをしまえるような陽気に感謝をするようになる。少し動いただけで汗がじんわりまとわりつくような長袖から、通気の良い半袖に衣替えをするたびにあったかいっていいなよあ、と感じることが増える。
しかし毎年7月あたりにやっと気付くのだ。夏は私にとって地獄の季節であり、忌み嫌うべきものだということを。

ここ数年、7月の半ばあたりから気温は30度をゆうに超えてくる。意味のわからないほどの熱気が日本を襲う。汗っかきの私にとっては、また地獄が始まる、と6月あたりに感じていた感謝の気持ちから手のひらを返して日本の気温を恨むようになるのだ。今私が住んでいるところが日本というだけで、昔旅行にいったハワイでもいくら湿気がないとはいえ日陰でもその地獄の気持ちは変わらないほど暑い。つまり真夏は一年の中で一番嫌いな季節なのである。

8月上旬の現在、外に数分出ただけでも泣き出したくなるほどの暑さが昼間を司っている。さらに、去年初めから世界に蔓延する新型コロナウイルスのおかげでほぼ全日本国民がこのクソ猛暑のなかマスクをせざるを得ない状況に陥っている。
少し前であればこんなに暑くなかったし、マスクなんてもってのほかだったので「暑いね〜!」とか言いながら、友人とキャッキャとかき氷を食べるためだけに日陰もない表参道の道路に並ぶことができた。だが、流石にこんな状況になっては去年、今年とそんなことはできていない。している人がいるとすれば、それはキラキラインスタグラマーではない。被虐愛好家だ。

そんな不自由な今年の夏でも私の心を躍らせてくれる風物詩がある。あまり季節のイベントに興味がない私だが、この時ばかりは定義づけたマスメディアには感謝するしかない。私が足を向けて寝れないのはどこだ。お台場か。六本木か。赤坂か。

そうめん。夏といえばそうめんなのである。

あらゆる飲食店にそうめんのメニューが頻出するようになるのが夏だ。さらに、私の家から5分のスーパーは夏になると揖保乃糸がかなり安くなる。まるで季節の野菜みたいな価格変動だが、三年住んでいて三年とも安くなっているのだからそういうこともできるのだろう。だって夏なんだから。
私は夏になると(正確には7月に入って暑さが尋常じゃなくなると)急いでそうめんを買いに走る。そのままスタンダードに茹でて麺つゆで食べてもいいし、豆乳スープでラーメン風にして食べるのもよい。今年Twitterで見つけたスパイスを使ったレシピも試してみたが、これまた美味しかった。クミンとツナの風味が、どうしてだかそうめんのつるっとフニャッとした感触と合うのだ。大食いの私でも夏は必ず食欲が落ちてしまうのだが、それを救ってくれるのは、そう、そうめんだ。

しかし昔からそうめんが好きだったわけでもない。
なんなら数年前までは苦手な食べ物だった。

中学生の頃まで遡る。
夏休みは親が頑張って毎日昼食を作って出してくれていた。それには今でも感謝の気持ちしかないが、作るのが楽だからか一週間に一回はそうめんが出てきていた。幸い母親も父親もそうめんに対してはどちらかというと好感度高めだったので、コンスタントに切らすことなくメニューがそうめんの日は続いていた。私はそうめんが出てくるたびに「またそうめんか」と思ったのだが、そう思うだけだった。そういう感情しかなかった。

そして、中学三年生、夏休み最後の日、いつものようにそうめんが出てきた。特に私はそうめんのことが好きでも嫌いでもなかったので、ごく普通に食べ、ごく普通に完食した。その時、声には出さなかったが、あることに私は気づいた。

「そうめん、食べるたびに胃のなかが気持ち悪くなっている気がする...!」

たまにこんな話を聞くことがある。好きな食べ物を何度も何度も食べていると、食べすぎて気持ちが悪くなり、その末に今後いっさい食べたいと思わなくなるほど苦手になってしまう。これを読んでいる人の中でも、一定数そういう出来事を経験したことがあるかもしれない。
つまりその時の私は同じようにそうめんを食べすぎて気分が悪くなっていた。

そうはっきりと感じる*まで自主的に食べようと思っていないので、気付くまでに時間がかかっていたのだが、実は週一回はなんとなく食後の気分が悪いと思うことが必ずあった。特に重大な病気などではないと思っていたが、まさかそうめんのせいだったとは。
* そうめんを食べすぎて気持ち悪くなると思うまで

それから私はそうめんをいっさい食べなくなった。夏以外そんなにそうめんと巡り会う機会がないので、そこまで困ることはなかったが、毎夏「そろそろそうめんの季節だね〜」とか腑抜けた会話が起こっていてもうまく乗り切れず、しまいにはそうめんが苦手とばれてなんとなく「そうめんが嫌いなことってあるのか?」みたいな、なんだこいつという目を向けられることもたまにあった。少し、その時ばかりは気まずかった。


しかし、その数年後、いまから四年前くらいだろうか。そうめんへのネガティブなイメージを崩すそうめんがはなまるうどんから飛び出して私の知覚に入ってきたのだった。

ある夏、その時もうだるような暑さ。当時渋谷で働いていた私は休憩時間に食べる昼食を考えあぐねていた。ん〜と手持ち無沙汰になってTwitterを見ると、バズったツイートが目に入る。

はなまるうどんのそうめんがうまい」

そんなツイートだった。なんでそんなシンプルな意味合いのツイートがバズったのかはわからないが、確かそうめんがはなまるうどんから出たのが初めて?久しぶり?だったらしい。そうめんだけではなく梅やネギの薬味もちゃんとついてくる。偶然にも私の職場ははなまるうどんにめちゃくちゃ近かった。し、ギラッギラに太陽が出ている真夏、久しぶりにそうめんにチャレンジするのもいいかしらとその時は思えたのだ。いまツイートを探しても出てこな買ったのだが、それほど食欲をそそるツイートだったような気がする。ま、苦手でも天ぷら食べれるしね。天ぷらはずっと好きなのだ、私は。

決めてからの行動は早かった。財布を手に持ち競歩でも練習しているのか、というスピードの早歩きで渋谷の人混みをかき分けかき分けはなまるうどんに向かっていく。歩くスピードが速すぎて、人と私の間に一瞬抵抗からできる風圧が発生していたかのようにも感じた。
はなまるうどんに入ってからも、私はソワソワしっぱなしだった。絶対そんなことあるわけないのに、売り切れていたらどうしよう、前の人で最後になってしまったらどうしよう。この気持ちのままかけうどんを食べることは今の私には到底できない。無理だ。

ドキドキしながら迎えた私の注文の番。緊張しながら「そうめんのやつ」と声をかける。威勢のいい掛け声にホッとした。まだそうめんはあったのだ。そうめんと合うかもわからないのに、とりあえずさつまいもと半熟卵の天ぷらも皿に乗せておいた。
どうぞ、という声とともにそうめんがトレーに置かれる。なんてことない冷製のそうめんだ。代金を払い、カウンターに座る。天かすはどうしようかなと思ったが、一旦乗せておくのはやめておいた。

さて、数年ぶりに食べるそうめん。急に後悔の波がすぐ後ろまで近づいているような気分になった。その日は給料日まであと三日。この貴重な千円をこのそうめんに使ってよかったと思えるのか?もしかしたらいつものように歩いてすぐのセブンで、すじこのおにぎりでも買っといた方がよかったんじゃないのか?この千円で得れる幸せが他にもあったのでは?と暑さもあって頭の中がぐるぐるしてきた。しかし払ってしまったものは仕方ない。水を勢いよく飲んで、そうめんを一口食べることにした。

「うまい」うまいのだ。
びっくりした。うまいよ、そうめんってうまいんだ!

つるっとした食感と、柔らかさはありつつもちゃんと芯がある。そしてうどんと比べて軽い食べ心地が喉を通り過ぎるたびにスッキリする。うわあ、そうめんって美味しいんじゃん。
なんで今まで避けてきたんだろう。そもそも苦手になったのだって食べ過ぎが原因だったわけで、そうめん自体を嫌いになったわけではないのに。

かくして、私はそうめんへの忌避感情をなくすことができ、なんなら割と好物の部類に入るまでになった。ちなみに、さつまいもと卵の天ぷらはそうめんには合わなかった。


そして夏がまたやってきた。止めどなく流れる汗といつまで経ってもフラフラするような熱気、さらにウイルスの脅威と様々なネガティブ・ポイントが夏にはてんこ盛りだが、今は一筋の光をそうめんに感じることができる。
まるで茹でる際に広がったそうめんたちの一本一本が曇天から降り注ぐ光のようだ。天からの思し召しなのか。ぐるりと鍋の中で菜箸を回す、これが神への愛の儀式なのだと。エイメン。

いやそこまでではないか。
夏がなくなる代わりにそうめんが世界から消えてもいいか?と言われたら、0.1秒もかからずに頷くと思う。
しかしそんな問いかけは一生ないので、この夏もそうめんと一緒に共存していこうと思う。

四月の神奈川は寒い

神奈川のとある駅に私は降り立った。もう四月だというのに、いまだに冷たさを孕んだ風を体全体で受け止めている。

地元神奈川を離れてもう四年。横浜のニュータウンで生まれ育った私だが、二十一年住み続けていても神奈川の地にはどうにも馴染めなかった。実家にいた時代から遊びに出かける際は渋谷か新宿と決めていて、今や都内で淡々とした一人暮らしをしている自分が今になって相模大野に向かったのは、これから訪れる長い休みの前に自分のルーツを見直したくなったからだった。

この地によく来ていたのは高校を卒業してすぐの頃。町田の近くに住んでいた友人に連れられて、しょっちゅう駅近くの喫茶店に入り浸っていた。その喫茶店は壁一面に映画のポスターを貼り付けていて、昼でも薄暗い。様々な大きさのソファと小さなテーブルが並び、店の中央にはボードゲームとスナック菓子がいくつか置かれている。

高校時代の友人と落ち合う時は決まってこの喫茶店と決めていた。年に数回あって、薄暗い店内の中で驚くほどリーズナブルなメニューとお酒を頼み、お互いの近況報告をしあう。今でこそ月日が経って疎遠になってしまったが、その喫茶店に集まる地元の若者たちで賑わう店内と、少しずつお互いの成長を感じていたあの時間は確かに私の中でまぶしく輝く記憶のピースの一つだ。

だが、今日相模大野に向かったのはその喫茶店目当てではない。その喫茶店を越えた先にある、タロット占いをしてくれるカフェを目指していたのだ。そのカフェにも昔いちどだけ訪れたことがある。ランチを頼むと一時間タロットで希望の事柄について見てくれる、というカフェだった。前に行った時からもう四年も経っている。その当時付き合っていた恋人について悩んでいた私を高校時代の友人が連れて行ってくれたのだ。

占いというものにちゃんと向き合ったことのない私にとって、本格的な占いを受けるのは初めての出来事だった。カフェのマスターはとても親身な人間で、優しく人々を包むような、ときたまバシッと激励の言葉をかけるような人柄である。人気の証か、私が占いを受けている時も別の客がカフェに訪れて占いの予約をしていく。

短くない年月が経っているので、私は少し緊張していた。予約をしっかりしたし、場所もわかっている。でももしかするとあの店は私の記憶の中で在り続けているだけで、すでに現実の中では無くなってしまっているのでははないだろうかとまで考えていた。
そんな妄想とはうらはらに、確かにタロット占いのカフェはそこに存在していた。少し重い扉を開けると一際大きく元気な女性の声が耳に飛び込んでくる。

「だから、私は絶対に幸せになる!」
「それはいいんだけど、そのままじゃダメなんだって!」

大きな声で男女が言い合いをしている。男の方はこのカフェの占いをしてくれる、というマスターだ。ひときわ大きい声ではしゃいでいるのは、女の方。きっと前の時間で予約していた客だろう。私より少し若そうに見える彼女は、占いの内容から発展して人生相談をしているところのようだ。

席に通されてメニューを出される。そのまま暖かいロイヤルミルクティーを出してもらい、私は彼女たちが話し終わるのを待っていた。彼女たちの話に耳をすませていると、とても話の内容がおかしくてときどきこちらまで笑いそうになってくる。

彼女はものすごく、なんというかパワーのある人間だと感じた。確かに言っている内容は「いい大学の男性と付き合いたい」とか、「この大学に受験したい」など突拍子もない話ばかりしているのだが、彼女自身がもっている力強さと自己肯定感によって、なんだかもうそのまま突っ走ってくれ、というしかないくらいの行動力を感じる。

「二十歳になったら全部変わるから! いい大学入って、好きな男の子とここに来るんだからね! 見ててよ!」

彼女が大きな声で冗談っぽく言う。それに対してマスターが「何言ってんの!」と負けずに大きな声を出す。とうとう私は堪えきれず笑ってしまった。
オンステージだ。そう狭くないカフェで、私とマスター、そしてカフェのスタッフ一人という少ない四人の客相手に漫談を行っているような。

「ごめんなさいねえ、こんなにうるさくて……」マスターが申し訳なさそうに私に向き直る。
「いや、面白くてつい笑っちゃいました」
「この際だからこの子に言ってやってくださいよ。ねえ、あなたは何歳?」急に巻き込まれる。
「私? 私はもう二十五になります」

ほらあ、と納得したようにマスターは女に向き合う。女は二十歳にもならない若い学生のようだ。二十五歳の観点からみて、この子どう思います? と話を振られてしまったので、改めて横の席にいる彼女に体を向ける。キラキラした真っ直ぐな眼をこちらに向けて私の言葉を待っている。いやあ、私はただの客なのに、何かこの人に言っていいものだろうか。

だが、何かの縁のように感じたのと、マシンガントークで楽しそうに話す彼女を見ていると昔の自分を見ているようで少し懐かしく思い、私は少しでも大人っぽく見えるように言葉を選びながら話すことにした。

実際、私だって周りの二十五歳より大人びているわけではない。もっといろいろ深みのある経験をしてきた同年代がいるだろう。もちろん私自身もそれなりに辛い思いをしたり、自分自身でどうにもならないほどの問題にぶち当たってはいたが、結局いまだにその問題に対して答えを出せていないことなんていくつもある。

「えっと、まず、それだけ強い思いがあるってことは素敵だと思います」
「でしょ! 嬉しい!」とびきり素直に彼女は笑う。目の前にいるマスターはすでに呆れ顔だ。
「でも、あえて言うなら、道を一つだけに絞らなくたっていいのかな、とは思って……もちろん、自分がやりたいことを叶えられるならそれに越したことはないんだけど、それが絶対叶えられるとは限らなくてね。そうなるくらいなら、一つの道だけじゃなくていろんな可能性を見て動いていくってのもいいんじゃないかなと」

そう言いながらこれまでの自分の歩んできた短い人生を思い返していた。私も昔に「やりたかったこと」でご飯を食べたいと思いそれなりに努力をしていたが、好きなものは好きなもの。仕事にするとなると、とても辛い思いをしなければならないこともあった。

だけど、それに耐えることができなかった。仕事だけじゃない。友人関係でも恋人との関係でも、全て自分の思い通りに行くことはなく、流動的に変化していく状況に合わせて自分の行動を変えなくてはならないことがたくさん、たくさんあった。隣にいる彼女を見ていると持っているパワーの強さを尊敬しつつも、もし何かを諦めなければいけない時がきたら、ぽっきり、彼女が思っているよりも簡単に心が折れ真っ白になってしまうこともあるのではないか、と心配になるのも事実だった。
 
当の彼女は、うんうんと深く肯いたかと思えば、それでも、と言わんばかりにひどくポジティブな感情をさらけ出してきた。

「それでも私はやりたいんですよ!」
「だめだ! 二人がかりで言ってもこれなんだもん! 強すぎる」
「ねえ、なんでそんなこと言うの! ひどい!」

くだらないじゃれあい。ここまで折れない、強い主張がある人を久しぶりに目の当たりにした。いつもの私ならひどく苛ついていたかもしれない。だが、その日は自分のこれまでの歴史を振り返ろうと思って神奈川の地に訪れたのもあって、自分の昔を見ているような暖かな気持ちになった。もはやここは、占い屋ではない。まるで午前0時の常連ばかり集まるバーのような賑やかさを持っている。前に行きつけのバーが欲しいなと思ったことがあったが、今この状況は結構近いのではないかとさえ感じた。

私も変わった。昔は初対面の隣の席の客と話すなんて考えられなかったのに、事実、そういう機会があってもうまくコミュニケーションが取れなかった苦い記憶があったのに、この場では自然と昔からの友人と話しているように振る舞えている。
それは自分の変化でだけではなく、隣にいる彼女の輝きがそうさせてくれているのだ。年下の人間と話すのは苦手だったはずだ。それでも、眩しいくらいの明るさを放つ彼女にやられていつの間にか暖かな笑いがそこに発生している。

そろそろ私の占いを始める、という時間になり年下の彼女は帰り支度を始めた。その最中もずっとマスターと冗談めいた言い合いをしている。私の周りにいないような勢いの良さに、思わず私も「幸せにね」と声をかけていた。

 

「ねえ、彼女走って帰っていってますよ」

外まで彼女を見送ったカフェのスタッフが呆れたように言う。嵐が過ぎ去ったように静かになった店内で、私は思い出し笑いをしてしまった。

予約通り占いをしてもらい、そのカフェを後にした。普通では考えられないような大騒ぎをした後だったので、少し疲れている。私はといえば安定を求めず自分のやりたいように幸せになりなさい、ということを伝えられたのだが、マスターも思わず

「まあ、やりたいことやりすぎると、ああなっちゃうのかもしれないけど……」

と年下の彼女を思い返すように呟いていた。

急に一人になり、なんとなくあの騒がしさを忘れたくない私は、そのまま帰るのをやめて前述の馴染みの喫茶店に向かうことにした。少し余韻を感じる時間が必要であった。しばらく行っていないといえ体は覚えている。すぐにその喫茶店を見つけることができた。

よし、ここはまだ煙草を吸えるな、と喫茶店の外壁に付けられている「喫煙可能店」のプレートを見てほっとした。都内はもうほとんど喫茶店や居酒屋でも煙草が吸えなくなっている。困ったもので昔から喫煙可という看板を守り続けていた店も、ここのところ時代の流れに押されどんどん禁煙店に鞍替えをしている。扉を開けると、記憶のままの薄暗い店内が私を迎えてくれた。まだ夜とは言えない時間だが席の八割は先客で埋まっている。小さなソファのある席に座ってアイスココアを頼んだ。

待っている間、煙草を吸いながら店内をちらと見渡してみる。三人くらいの若い女性がきゃっきゃと楽しそうにおしゃべりしているテーブルがあれば、一人で物思いに耽っていそうな渋い男性客もいた。スケートボードを壁に立てかけてヒップホップ音楽の話をしている男性二人組がいて、近くにはその客と楽しそうに話している従業員もいる。

アイスココアが席に届いた。焦げ茶色のココアの上には、柔らかなホイップクリームがかけられている。ひと口飲むと、ココアといって思い浮かべるような味ではなく、ふわりと花の香りがするようなオリエンタルな味が口の中に広がる。花の蜜みたいだ、と私は懐かしい気持ちになった。

私が小学生の時、下校中にツツジの花の蜜を吸いながら帰るのが流行っていた。お小遣いも少ない中で、いかに空腹を満たすかを考え一定数の子供がたどり着くのが、花の蜜を吸うことだった。あれも実はすごく美味しいというものではなかったが、夕日が差し込む中友人たちと騒ぎながら甘さしか感じない花の蜜を吸うのは、結構面白いものであった。このアイスココアはその味に近い甘さがある。
ココアのテクスチャーはさらりとした水分量を多く感じるものである。飲み口はさっぱりとしているが、その独特な甘さゆえ一気に飲み干すことは難しい。少しずつしか飲めないその甘さも、小学生の時に見た気怠い夕日を思い出させてくれる。ノスタルジック。

今日はいろいろ、昔を思い出す日だったなと心の中で呟いた。自分の生まれ育った地に赴くことで何か初心にかえれるような気分になるかもしれない、という期待を持っていたのだが、図らずしも考えていたよりも直接的に自信を振り返る出来事に出会ってしまった。

昔、早口で何を言っているかわからないと言われてしまったことがある。その時はそこまで早口に喋っているつもりはなかったのだが、今日の年下の彼女を見ているとそう言われた意図がわかるような気がする。
考えているより自分は大人になったのかもしれない。

「ねえ、だから言ってるじゃん! あたし、一年後には絶対付き合ってみせるから!」

近くのテーブルの女性が身を乗り出して連れの女性に宣言をしているのが聞こえた。私の席からかろうじて見える彼女の顔は、決意に満たされ晴れ晴れとしている。

今日は人の宣言ばかり耳に入るな。苦笑する。私はイヤホンをつけFINAL SPANK HAPPYの「エイリアン・セックス・フレンド」を流し私は一人の世界に入ることにした。

キラキラと輝く人たちは皆エイリアンみたいだな。そんなことを思いながら、アイスココアを啜った。

Acne 財布 買った [検索]

服飾の専門学校を出てから、もう5年が経った。服、服、服にまみれていた学生時代を後にしても、新しいアパレル製品を購入するときのときめきは忘れられない。

「結構財布、使い込んでんだね」
何日か前に、友人から言われてはじめて気づいた。元カレからもらったハンドメイドのミニ財布が思った以上にボロボロになっていた。クリーム色のキャンバス地に防水加工を施した粗っぽさの残る財布なのだが、このラミネートのような防水加工のせいなのか、なかなか黒く擦れた汚れが落ちないのだ。

ふと、この財布を買ってもらうときに色を黒にするか迷ったことを思い出した。汚れも気になるし、黒のほうがいろいろ都合がいいかも.......と思って黒をねだろうと思ったのだが、元カレの熱い後押しでこのキャンバス地のものを選ぶことになったのだった。
やっぱ黒にすればよかったのかな~と友人にこぼしたら、「せっかく買ってもらったのに」ととがめられた。真っ当な意見だ。

そんなこともあり、いい機会だし新しい財布を買おうと思ってからすぐ表参道の駅に降りていた。

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Acne Studiosの三つ折り財布を買った。
二個前くらいの財布から長財布ではなく、二つ折りや三つ折り財布に移行してそのかさ張らなさに感動したので小さい財布を買うことは心に決めていた。それに、世間的にも小さい財布は流行っているのもあり、選択肢が多そうなのも魅力的だった。

今まで好んでブランド物を買うことは少なかった。金銭的な問題と、どうせ買うならかぶらない方がいいじゃん!と何となくわかりやすいブランドを目指さず、大衆的に知られていないブランドを買うことの方が多かった。
でも、別にわかりやすいブランド物が欲しくないわけではなかった。ロエベだって、マルジェラだって、ジルサンダーだって好きなブランドだ。次のボーナスでマルジェラの5ACを狙っている自分もちゃんと存在する。特に、様々なブランドのミニ財布ブームも相まってAcneの財布に決める前に割と悩んだ。

最後まで悩んでいたのは、マルジェラの財布だ。ロエベのマークがアクセントでついているミニ財布もよかったけれど、さすがにそのシンプルさに6、7万~出す勇気はなかった。そこに投資するよりはお金をためて鞄を買う方が満足度が高いと私は思ったし。
マルジェラの財布はいろんな型があり、当然しぼのついた皮で作られた、かわいらしい三つ折り財布も存在する。高いんだよな~~~でもかわいいな~と思っていたところに、Acneの三つ折り財布を発見する。

前々からAcneのレザーグッズはミニマルでポップなカラーも多く、かわいいなとは思っていた。いまはどんな形の財布が出ているのだろうと探したところ、二つ折りの少し大きめな(ギャルソンの二つ折り財布に似ている)二つ折りの財布と、三つ折りの財布が出ていることが分かった。どちらもロエベやマルジェラに比べたら手が届きやすい価格だ。
二つ折りのほうが使いやすそうだし、何よりレビューにて三つ折り財布には一万円が入らず、折りたたまないと入らないことが結構なデメリットされていることが分かった。

それでもなんとなく、ミニマルさにひかれて三つ折り財布が気になってしまう私。これは実際に見に行ってみないとわからんな、と四連休の最初に表参道にあるAcneの実店舗に向かった。
見比べてみると、二つ折りの方はそこまでがばっと開くものではなく、90°くらいが限界のようだった。なので三つ折りの財布を買うことは決まりとして、色で少々悩んだ。あまり色物を買わない私が、なぜかアーモンドブラウン(購入した色)がとてもかわいく見えてきて、実店舗に行く前はこの色一択だと思っていたが、黒も皮の滑らかさ、しっとり感がきれいなのと、ミニマルな形には黒のほうが似合っている。しばらく考えたが、やはり色の可愛さでアーモンドブラウンを購入することにした。
このブラウンは普通のブラウンに比べると少し色が鮮やかで、レンガ色っぽさを持っているが重くならない不思議な色だ。Acneのモダンなポップさが出ている気がする。

そうして久しぶりに自分で財布を買った私は、少しあこがれていたサーモンピンク色のAcneのショッパー片手に表参道をぶらついて帰宅した。
Acneのショッパーがあるだけで、表参道に受け入れられている気がする。少し大人になったような気がする。

 

余談

Acneで対応してくれた男の店員さん、私よりもきっと若くて顔が小さくて、背も高身長のスタイルがめちゃくちゃ良いひとだった。まぶしく見えて、とても怖かったが接客も優しく、デニムの試着も勧めてくれた。もちろん買う予定はないのだが、やっぱりAcneのデニムは将来一本くらい持っていたいなと思わせてくれる仕上がりだった。
だが、店員のスタイルが良すぎのため、普段は標準より背が高いためスタイルが悪くてもギリギリ見れていた私が、死ぬほどちんちくりんに見えて消えたくなった。

私の料理を見るな

料理を作るとき、人に見られるのがすごく、ものすごく苦手だ。

一人暮らしをして4年経つ。実家にいたときはほとんど自分で料理を作るときなんてなかったけれど、ひとりですべてやらないといけない環境に置かれていると、必要に迫られて料理を作ることになるのは分かりきっていたことだった。

そこまで料理の腕に自信があるわけでもないが、やる回数が増えるとどうしても「作りたいものを作る」ということから「あるものを使ってご飯を作る」という思考になりがちだ。私は食欲に貪欲な方なので、食べたいものは基本的にその時に食べないと気が済まない。でもいつ何時も食べたいものが決まっているわけではない。そう思うと「人のために料理をする」というのは、献立を考える点ではとてもやりやすい。その人が食べたいものを作れば大体間違いないから。

というわけで、あまり自信がない私でも人に料理をふるまうのは結構嫌いじゃない。
だが! 基本的に独身、在宅勤務、ひとり暮らし四年目にもなると自宅で人がいることに、すごく違和感を感じることがある。得意じゃないことをやろうとするには集中がとても必要な人間なのだ、私は。
なので、料理をしているときに人に見守られているととても緊張する。自分が思っているよりも倍緊張してしまう。私がものすごく大雑把な性格なのもある。炒めてしまえば、煮てしまえば、胃に入ってしまえば一緒よね。という考えで料理をしているから、千切りをするときに猫の手をしないし、皮も大体剥けていればいいだろうと思ってしまう。
でも、他人はそう思わない。そりゃそうだ、好き好んでまずいものを食べたい人なんて少ないんだから、料理をする人には丁寧に、味見もちゃんとして、おいしいものを食べさせてくれよと思っているに違いない。そういった本当にあるかもわからないプレッシャーにどぎまぎして、他人の視線を感じるたびに包丁を持つ手が汗ばむ。


私も以前は他人が料理をしているところを見るのが大好きだった。
なんなら料理をしているときに人を放っておくなんて、冷たいだろうとさえ思っていた。今でも、自分ではない誰かが料理をしているときはなんとなく参加したほうがいいのかな、と思ったりする。しかしいざ自分が料理をする側に回ったときに、人に何か作業を見られているのはとても緊張するものだと分かった。

自分が料理を見られるのが嫌だなと初めて思ったエピソードがある。
友人を招いたときに、たまたま料理をふるまうことになった。献立自体はハンバーグとか、付け合わせのキノコソテーだとか、本当にありきたりなものだったが、盛り上げてくれていたのだろう、友人は私の一挙一動に茶々を入れてきた。
最初は「参加してくれているのか、かわいいやつめと」思っていたのだけれど、私がちょっと手抜きをするたびに
「え! それ大丈夫なの~」
「もっと火入れなよ」
「雑、ざつざつ雑~」
など言われて、初めて自分の料理が大雑把なのだと気付いた。たしかに実家にいたときに、母親や父親が料理をしているところをまじまじと見たことはなかった。せいぜい、頼まれてニンジンの皮を剥いたりするくらいしかキッチンに立つことはなかったのだ。
それを自覚してからすごく料理がやりづらかった。何か言葉を発せられるたびにもうやめてくれ!! と言いたくなる。手汗がどんどん出てきて、挙動不審になる。
ここら辺詰めていくと、もう私の料理のやり方や感覚の過敏さなどの問題になってくるが、簡単に言うととっても、恥ずかしかったのだ。

その後もその友人だけではなく、過去付き合ってきた恋人たちにも料理をまじまじと見られることがあった。気を使っているのか、本当に何もわからなかったのかは知らないが、彼らは茶々を入れてくることは少なかった。しかし、すでに人に料理を見られることが苦手になっていた私にとっては全部のシーンで、
「見ないでくれ!!」
と言いたくなるほどに緊張していた。結局勇気が出ないのとそれを言う別の恥ずかしさもあって、料理シーンはすべて見られることになった。

少し前に、初めて料理をしているときにそばにいない人と出会った。(出会った?)
逆に人に見られていることが当たり前になっていた私にとっては、少し寂しい思いもあったのだけれど、それ以上に安心して料理ができるということがありがたかった。
ありがとう! 見ないでくれてありがとう! と出来上がった料理を持って行った時の、何言ってんだこいつ? という顔をされて、私の自意識過剰を恥じることになったけど。


なんでこの話を書いているかというと、少し前に元恋人と話す機会があったからだ。
去り際にすごくむかつくことを言われたのだ。
「もうちょっと部屋の掃除と、料理のやり方を頑張ったほうがいいかもね」
原文ママである。そう悪くない別れ方をしたつもりだったが、一気に腹が立った。それはあなたが私の料理を見てたからでしょ、と言おうと思ったときには、彼はすたすたと歩いて行ってしまった。
まあもういい。私がそういう人間だと分かったことだけでも良かった。少しもやもやとした気持ちを持ったまま、私も帰路についた。

ちなみに、部屋は普通に汚いです。

横浜、黄金町の記憶

横浜に生まれ、社会人になるまでずっと実家暮らしだった私にとっては、当時の住民票に刻まれている「横浜市」という三文字はすでに見慣れた文字列だった。
でも、実はあまり横浜市内には詳しくない。言葉にできないのだけど、私はこの横浜という街がなんとなく苦手だった。小洒落た街並み、ずっと改装中の横浜駅(今はすでに改装完了したのだろうか)、ニュータウンの簡素さと横浜駅西口の雑多な印象。そのどれもがなんか嫌な気持ちにさせるから、横浜市を毛嫌いしていたところがある。学生時代遊んだ場所も、横浜より都内の方が多かったと思う。

なんか嫌なんだよね。
私が横浜のことをそう言った時に「そうかな〜」と不思議な顔をしていた高校の頃の同級生は、神奈川の大学に進学し、そのまま横浜で就職して東横線沿いに住んでいる。その人が嫌って訳では全くないけど、私の中では一番憧れないロールモデルだ。

横浜と言っても、私が住んでいた街は県外の人が想像する横浜然としているものではなく、横浜の内陸、結構田舎の方。ザ・田舎!というわけでもないから、繁華街が近くにありもしないが、田んぼとか商店街もなかなか見ることができない、住宅街と申し訳程度の自然がある「死んではないけど瀕死の街」に住んでいたので、学生時代の私は娯楽をあまり知らなかった。重ねて、友達が多いタイプでもないしアウトドアでもないし流行も何もわからなかったのでずっと家にこもって絵を描いていた。だから、横浜の事なんてよく知らないしわからない。今となっては少し惜しいよね。

そんな横浜市の中で一時期自分の意思で通っていた街がある。黄金町(こがねちょう)だ。
横浜駅から京浜急行に乗り換えて三駅ほど。駅から降りると殺風景な街並みとどでかい道路が広がる。すごい。地元より何もなかった。駅から見えるのは「無」だ。街が死んでるかどうかもわからない。当時私には黄金町に住む知り合いがいた。私よりすこし年上の人間だった。専門学生だった私は相談事があると、実家にまっすぐ帰らず黄金町に寄ってその人と話をすることにしていた。

黄金町に訪れていた時間帯が大体夕方ごろだったせいもあるかもしれないが、黄金町は慣れるまでなんだか不思議な、ふわふわとした不安定な雰囲気がある街だなと思っていた。それを黄金町在住の知り合いに言うと、「この街はあんまり治安が良くないからね」と言っていた。昔の黄金町については普通に調べることができるのと、SNSでセンシティブな街の事柄に触れるには知識がないといけない、ということを最近第三者目線で思ったし、今回書きたいのはそういった話を深く掘り下げたいわけではないから割愛する。

黄金町で印象に残っているのは、大岡川沿いの桜と、野毛山公園という神奈川によくみわれる高台の公園の二つ。

大岡川沿いの桜は、すごく奥ゆかしい桜だ。少し前に、中目黒の目黒川沿いへお花見することがよくあったのだが、あそこの桜に比べると街の雰囲気も、桜の印象もだいぶ違うように感じた。どちらも同じ川沿いの桜なのに。黄金町の桜は、なんだか一人で見たくなる。結構長い距離に渡って桜並木が続いているが、なんだか優しい印象を受ける。
わたしがしっかりその桜を見たのは2回。知り合いの家から帰る時と、知り合いが黄金町を出ることを教えてもらった日の散歩している最中だった。どちらも少しノスタルジーを感じる瞬間に川沿いの桜が目に入っていたからか、黄金町の桜並木はどうしてもさみしさを思い出す。

そして、野毛山公園。これは少し黄金町駅から歩くので、もしかしたら厳密には黄金町の公園とは言えないかもしれない!
ここにはよく来ていた。黄金町在住の知り合いとも来ていたし、共通の友人がいたので、三人で野毛山公園内にあるセブンティーンアイスを舐めながら日が落ちるのを眺めたことがあった。
この公園には小さな小さな展望台がある。公園の大きさからすると少しお粗末なくらいの小ささなのだが、登ってみると黄金町周辺の住宅街が一望できる。神奈川は本当に坂が多い。この展望台に登るといつもそう感じていたし、共通の友人が初めて登った時に「ここ、高すぎる」と急に恐怖に陥っていたのは割と面白かった気がするのを覚えている。いくつも並ぶマンションや一戸建てを眺めながら、この一つ一つに人たちが住んでいるんだなあ、と思うと何故か感慨深かった。

社会人になって、知り合いが黄金町、そして横浜の地から引っ越すことになって普通に疎遠になった。正直その知り合いと何を話していたかはちゃんと覚えてないけど、代わりに黄金町のあのふわふわとして、カラッと乾いた灰色の街並みはいまだに思いだせる。しばらくして会社の同僚に黄金町付近で学生時代アルバイトをしていた人と出会った。そう多くは黄金町の話をしていないけど、大方私とおんなじような気持ちを黄金町に抱いていた。

少し前にその元・同僚(私は最近転職してしまった)にあってなぜか黄金町の話を少しすることになった。そのままの流れで、最近の黄金町のことを二人で調べることにした。
黄金町は少しずつ変わっていた。アートの街にする、という志はたまに行っていた当時から変わらないようだけど、その試みも進んでいるようで結構面白そうな展示や街並みが広がっているようだ、ということがわかった。
「なんか、よさそうだね!」と美術館が好きな同僚が興味を持っていた。そうだね、なんか、良さそうだよね。と私もそう思った。

いろいろな歴史がある街だから、一つの面を切り取って評価することはとても難しい街だと感じる。ましてや私は実際に生まれ育ったわけでも、住んでいたわけでもないので、リアルな話をすることはできない。でも、私の中でいえば、その地で育ちつつもなんとなく苦手だった横浜の中でも少し興味がある地域だった。
歴史を内包したまま、進化しようとしている黄金町。この状況が収まったら、いつか行けたらいいなと思っている。

最近食べたもの

6月5日
ネパールのカレーと総菜の定食、ダルバートを食べた。アチャールがウマ~だが、本場の人がやっているので全体的なえぐみが存在した。

6月7日
用事が終わって帰宅中、途中下車をして南インドカレー屋に入った。ミールス目当てに突撃したが残念ながらランチでは提供しておらず。代わりに食べたパラタ(ナンと大体似たような生地でつくったぐるぐる巻かれたパイ状のもの)がものすごくおいしくて、しばらくパラタの虜になる。

6月12日
吉祥寺で行きたいスパイス料理屋があったが休憩中で行けず。無印で手作りナンセットを買ってパラタを作ってみる。まあまあのうまさだったので、ここでパラタへの執着は薄れる。

6月13日
ルーロー飯を人と作る。肉を大きく切りすぎてあのどろどろしたあんかけみたいなのは作れなかった。ゆでたまごを作るのに失敗して、全部温泉卵になった。温泉卵は好きなので、若干うれしさが勝つ。
付け合わせに野沢菜わかめとサラダチキン和えを出したが、見た目の最悪さのわりに夏に食べるのにちょうどよく、サラダチキンに興味を持ち出す。

6月15日
市販のサラダチキンのえぐみ?に気づきだして自分で作ったほうが早いと思い始める。昔人から教わった鳥ハムの作り方を応用して作ってみた。塩こうじにも漬けたので柔らかくておいしかった。豆乳めんつゆラー油そうめんをつくってサラダチキンも入れておいた。揖保乃糸おいしい。

6月18日
体重を気にしてサラダスープをしぶしぶ作り始める。かぶ、えのき、青梗菜、玉ねぎでつくったら色味のない変なスープになった。食べていると「すごく食べたいものを食べられていない」といった疲労が襲ってくるので、ここで痩せておきたい。
昼は出前館で頼んだミスドを食べた。最悪だ。