入院するのビビってないわけないだろ

特定の誰かに気にされたかったり、好かれたくてアピールしている人のことはすぐわかる。その気に入られたい対象が自分でなかったら、余計にわかってしまう。人間の下心って本当に醜いなあと思うし、その対象にならなくて嫉妬しそうになる自分もしっかり醜い。
でもそういう直接の媚びではなく、撒き餌のように放つ媚びを見てしまうと、なんかずるいと感じてしまう。だって指摘されても逃げれるもん、と自分なら思うから。

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今週末から入院することになったので、荷物をまとめていた。思ったより用意するものが多く、入院直前に買わなきゃいけないものがあったり、荷物が入るバッグがないなど、入院日までぼやーっと過ごしたのが丸わかりの状態だった。
短い間だが、あまり連絡を取れなくなるので会社や親族にも入院することを伝えた。婦人科系の手術のため詳しくは話したくなく、ぼかしたりなるべく明るく伝えたりした。特に自分の母親には。彼女は想像のキャパシティが一般より少なく感じるし、そのキャパを超えると自分で考えたり調べることを放棄し、第三者に説明を求めまくる。絶対ちゃんと伝えたら不安になったり、自分は何をすればいいのかわからなくなって、おろおろしながら謎のメッセージをLINEに入れまくると思う。親のLINEって独特なことがあるよね。

しかし、これはあまり良くない選択だったように思う。わかってはいるけど、他人は自分の心中を想像することはとても難しいので、言われたことを元に対応するしかできない。明るく振る舞っていたせいで、(自分にとっては)デリカシーのない言葉をいただく羽目になったりもした。
別に入院するからって、やさし〜く慎重に扱ってほしい訳じゃない。でも嫌な冗談はやめてくれよ、いや入院あって仕事終わるかな、私の母親世間知らずだな、ていうかなんだかんだ余裕でしょみたいな態度ムカつくな、よくわからないからって私の病気がないみたいにすな。

身近な人にくらい不安な気持ちをちゃんと言えばよかったなーと思ったが、親族のような近い人ほどあまり言えないもんだよなーとも思う。これは私の家庭が複雑だからなだけかもしれない。
なので気遣ってくれる人たちや、私が手術前だからと要望したことに快くOKしてくれた人たちをこれからも大切にしようと思います。急に終わっちゃった。

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新年度が始まると、SNSを眺めているだけで大量の新生活を始める人が目に入ってきて、入ってくるなあと思う。
私は社会人になってから、より自由な気持ちで生きれているのでめんどくさい仕事さえなければ意外と社会人を楽しめるのだけど、やっぱり学生から急に社会に出る子たちは気持ちの切り替えに苦労している。私はあまり新卒に関わったことがない人生で、その関わった数少ない新卒の人たちも優秀で要領が良かったから、しんどい新卒を第三者目線で見たことがない。
かつては私も新卒で入った会社を3ヶ月で辞めているから、社会に出るつらさを感じたこともあるハズだけど、もう28歳、社会に出て8年目にもなると割と楽しい記憶しか残っていない。

「前にも教えたよね?」と良く言われる(らしい)言葉があるけど、私はあまりその言葉を後輩に言ったことがない。なぜなら私自身が教えた記憶がないからであり、本当に怖いのが、もしかしたら言ったことはあるかもしれないけれど、その記憶自体もなくなっているということだ。

連続し分断された日記

寂しさを忘れる仕事。SNSで見知らぬ年老いた誰かが、「人生いろいろあって結局今は独りで生きている。悠々自適だが寂しさを感じる」といった投稿をしているのを見て、心にダメージを受けた。怖いね。恋をしても結婚しても不倫をしても友情を育んでも教え子をたくさん作っても、他人との関係性を大事にした人望のある人でさえ、人というものは最期独りになる。それがすごく怖い。
しかもこういった投稿をしている人は一人だけじゃなく何人もいる。人生の終盤に寂しさを感じている人はたくさんいると改めてわかってしまったら、歳を取るのが怖くなる。一生19歳から22歳をループしていたい。てか責任とかあんまり負えないし若者のままでいたかった。でももう無理だ。なので、年齢なりの人生歩むしかない。私は私なりに大切な人たちを大切にするしかできない。

会社の飲み会が久々にあったので出社した。同じ部署の人と新しく入社してくれた人とその上司。なんか久々に3人以上で飲んだけど、必要以上に声を大きくしなきゃならないし喉が疲れる。
もんじゃ焼きの店に行ったのでやったるわいなともんじゃを焼いてみたが、色々不手際があって周りに突っ込まれる。すみません、すみません。軌道修正を他人にさせるのは仕事だけではなかった。後輩がもんじゃ焼きを食べたことがないということで、作ってもらったけど上手だった。
もんじゃは美味しいけどやっぱり広島風お好み焼きの方が好きだな。大阪のお好み焼きは嫌いではないけど、小麦粉の塊なので飽きる。

会社の人と飲むと、最終的にそれぞれの結婚式の話に終結するのは何故なんだろう。長く勤めてる人が部署に多いからだろうか。仕事の話をされるよりはいいよなと思う。
たまに「いつも休日何してるの?」と職場の人に聞かれる時、どう答えたらいいか迷う。私と同じような趣味を持つ人や、それに深い理解がある人があまりいない(と勝手に思っている)ので細かくは話せない。というか何度か詳細に話してみたけど、特に上司とかは「よくわからんけど話を合わせてくれている」みたいな感じになってしまう。
こういうとき、あー私は趣向が合わない人に物事を説明するのが下手くそなんだなー、と思うし、そんな気遣いいらないほど似たような趣向を持っていた前の会社の仲良い人たちは話しやすかったなー、と思う。だが今の会社でも、上司に(仕事以外)タメ口使うときはあるし、前の会社は役員がバラバラになってしまった。どの会社もいいところと悪いところがあるんだと思う。前述について詳しく書くことはない。

最近、いろんな人の話を聞いたり、いろんな作家のエッセイを読んだりしていたら、自分の書く文章がとても固く感じて、せめてここでだけでも無理しない文章を書こうと意識して書いている。
しかしこれが結構きつい。今までは頭に思った文章をそのままアウトプットすればいいだけだったが、今は一回思い浮かべた文章を柔らかい表現にしてみたり、適当な言い回しを見つけてみたりして、書く作業がスムーズにいかないことのほうが多い。そうやって書くのに苦戦した文章は、何故か読み返した時にうまく頭に入ってこない。頭を使わずに書いた文章はするっと頭に入ってくる。これって自分の文章だからなのか、文章の癖をわかってるから読みやすいのか、ただ単に上手く文章が書けなくなっているからなのか全くわからない。
それらをわからなくなってから、あんまり文章を書きたくなくなってしまった。疲れるからだ。疲れは全ての不調に繋がるじゃん? でも第三者に伝わるように/面白いと思われるように書いた文章でないと、読み手はつまらなく感じる。人から借りたバーナード嬢曰く。を読んでたらより一層そう思うようになった。わかっていても、やっぱり他人を楽しませようとして文章を書くのは私にとってはストレスなんだと感じる。じゃあ何のために文章を書くんだろう。
あーそう、今のも本当は「書くんだろう。」で終わらせたくなくて、なぜか「書くんだろうと思っている。」と、前にある感じる。と連続させて〇〇する。を置きたくなってしまう。そこに明確な理由がないから怖い。

「喫煙者さようなら」世間の声

あったかくなりました。いや、やっぱり寒いままでした。上着を着るか迷って脱いだり着たりを繰り返していたら三月になってしまってウケた。
生活をこなしていくだけで精一杯なのは全人類ほとんどがそうだと思うけど、生きてるだけでお金はかかるし、税金は増えていくし。使用期限が迫っているのにお気に入りのアイシャドウを捨てれずにいるのが、生活により哀愁を漂わせている一因になっている気がする。

この前渋谷の喫茶店、羽當に久々に行った。羽當は以前喫煙可能店だったので良く友人とお茶しに行っていたのだけど、いつのまにか禁煙(というか喫煙ブースありで席でタバコは吸えない)になってそのまま疎遠になっていた。友人と渋谷に行くことになったので、久々に羽當に行きたいとおねだりして快諾してくれたので行ってみたが、自分がよく行っていた頃より随分変わっていた。

席で喫煙可だった時もしばしば混み合って店内で待ち列ができることはあったが、今の羽當はそれ以上に人気になってしまって、特に休日はいつ見ても行列ができている。行った当日も雨が降っていたのにも関わらず何組か並んでいて、並んでいる人こんな雨なのによく頑張るよなと思うばかりだった(私たちもだけど!)。
店の入り口に近づくと、前はなかった「無断で撮影禁止」という旨のステッカーが貼られていて驚いた。無断撮影禁止って何。それだけ羽當の雰囲気が人気になり、店内の写真をたくさん撮られているということでいいか?
久々に羽當でシフォンケーキやたくさんのカップを写真に撮りたいな〜と思っていたので、その気持ちを見透かされていたようで緊張。こんなステッカーがあるということはなんらかのトラブルがあったということなのだろうか。

店に入ると昔通っていた時のままで、大好きなシフォンケーキもラインナップは変わっていなかった。たまににんじんのシフォンケーキも出していたと思うんだけどまだ出ているのかな。まあにんじんのは選ばないけど。とか思ってたら目当ての紅茶シフォンケーキは売り切れていた。
店員に写真を撮っても大丈夫なのですか、と聞いてみると「人が写らなければ大丈夫」と返ってきた。とりあえずシフォンケーキとコーヒー、壁に飾られているたくさんのカップだけ撮っておいた。

つくづく思うけど禁煙になった途端とても人気になる喫茶店は多い。新宿の西武も全階喫煙可能だった頃はそこまで並ばなかったイメージだが、結構前にテレビか何かで紹介されてから鬼のように行列ができるようになった。西武に入るために並んで、自分たちの番になって喫煙席を頼んで席に案内されると、喫煙席はガラガラなのでなんだか並び損をしたような気分になる。ここまで書いて西武って全席喫煙可能な時期あったっけ?と不安になるが調べるまでは気力がない。
喫煙者の肩身の狭さを感じるけどそれでもタバコを止める気にはなかなかならない。吸い続ける理由も特にないけど。
今日池袋に行って紙巻きタバコを吸える店を探した時も大変だった。電子タバコの普及を感じるし、というか自分ももう電子タバコしか吸わないし、こんなに吸えなくなっている店が増えているのに驚くことしかできない。四店舗くらい回ってやっと喫煙可能な喫茶店に落ち着けた時はかなり安心せざるを得なかった。

あーこうやって喫煙者は隅に追いやられるんだな。と思った矢先、喫煙可能な居酒屋を探すと池袋の今いる場所から徒歩五分圏内にいくつもの喫煙可能店があることに気づいて愕然とした。
私は居酒屋も好きだが、お酒を飲まないのでいつも入る時に緊張してしまう。お酒を飲まないのにタバコを吸いたい人ってそんなにいないのか?そんなこともないと思う。

でもタバコが本当に受け付けない人からしたら、クリーンな店が増えてきているように感じるんだろうな。妊婦の人や子供連れ、タバコアレルギーの人にとってはありがたいことなのだと思う。
タバコが嫌いな人がよくいう、「煙たい、臭い」という文句がある。しかし、なぜか喫煙者の私も、タバコ臭がむせかえる場所にいると「煙たい、臭い」という文句を口にしてしまって変である。
じゃあなんで吸ってるんでしょうね。わかりません。お金で不健康を買っている。いつかこんなことを書いている自分が恥ずかしくなる?

歳とったら月日が早いよね

しばらく書きたいことがなんにも思いつかなくて、ブログを更新するのを諦めていた。
最後に投稿してから4ヶ月も経っている。頭が痛くなるくらい暑かった夏から頭が痛くなるほど寒い冬になってしまった。12月になっても我々は地球の温度に振り回されている。はっきり言って今年は異常だ。

ZINEフェスやら文学フリマの新刊の制作やら寄稿やら、いくつか制作に向き合っていたような気がしていたが精神的に無理くり捻り出しているような瞬間もあって、半年に一回新刊を出していたペースを落とすことにした。
普通に、50ページ前後の短いZINEではあるが半年に一回って制作ペースとしてはわりかし高頻度なんじゃね?と思っていて、次に作るならもっとボリュームが多いものを作ってみたくなったのが一番の要因です。あとは個人的に仕事とか生活がちょっとずつ変化していって、ちょっとだけそっちをこなしていきたいなと思った。文学フリマが開催されるたびに新刊を作って、参加して、いろんな人と関わるのは刺激になっていたので寂しい気持ちもあるのだけど、作ることが目的になってきていて、それがつまらなく感じてきた。この話はこれで終わり。

最近ストレスが溜まったらお菓子作りをしている。バスクチーズケーキ、クッキー、パウンドケーキを作ったが焼き菓子が苦手なようでクッキーとパウンドケーキの出来はあまり良くなかった。というか焼き菓子が好きすぎて、ひねったものじゃないと満足しなくなってきた。
私のこういう王道を外れたい、みたいな悪癖は人生の至る所に散らばっていて、だから今流行りの曲を流されても誰が歌っているか微妙に分からず周りを困惑させている現状にも繋がっている。
すこし前に友人と食事をしていた時に倉木麻衣(さん)の曲が流れてきて、友人は「この曲好きなんだよね!コナンの主題歌だったし」と言っていた。私は曲を聞いただけじゃ分からなかったが、コナンの主題歌と言われてアーティストを察することができた。インターネットにばかり浸かっていたからこうなる。普通に世間知らずで無理。

正直、最近の自分は「無常」という感じで、意味とはちょっと違うけれど自分の楽しんでいたことに入り込めない部分がある。こう書くと脳裏に「鬱」の一文字がよぎるような気がして怖いのだが、気まぐれな自分には良くあるようなことのように思えて、一旦深く考えないようにしている。
この一旦深く考えないようにするというのは、自分の精神を安定させる一つの手段だと私は捉えている。逃げの一手を常に持っていることで、モロにダメージを喰らわないように、くだらないニュースで気を紛らわせているような日々。

物事を真面目に考えるからしんどくなるというか、世界の全ての物事に「自分」というものを真ん中に置いてしまって考えるから、どの話題でも敏感に影響を受けるような状態。
そういう状態を常に持っていると苦しくなってしまうように思う。でも必要な考え方でもあるので、使い所を考えないといけない。
ぼやけた持論すぎて誰にも理解されないような気がするが、案外人間はわかったような感覚になってくれる。

質量と力が足りない

7/28

途中さんと遊んだ。途中さんは日記祭で知り合って本を買わせてもらって、途中さんも私の本を買ってくれて、そこからこの人とご飯食べてみたいなと思ったからご飯に誘いました。同性の趣味が似通っている友達が増えるのはとても嬉しい(もう友達ってことになってる!)。
阿佐ヶ谷のなかよしで餃子を食べて、23時くらいまでgionでお茶。二人とも下戸なので遅くまでやっている喫茶店のありがたさを噛み締める。途中さんは私の話にとてもいいリアクションをしてくれたり、かと思えば彼女らしいエッジの効いた言葉をくれたり話していてわくわくする。もともと学生時代や職場でできた友達もみんなわくわくさせてくれるような楽しさをくれる人々ばかりだけど、こうやって趣味の世界でも居心地のいい関わりが作れるのはありがたいことだなと思った。
久々に阿佐ヶ谷に降り立ったがやはりいい街だなと思った。毎回阿佐ヶ谷に住もうと思ってはいい物件が見つからず断念しているが、もう少し頑張って探してみたいという気持ちにさせる街、阿佐ヶ谷。

 

7/31

仕事が意外と忙しくなってきた。やらなきゃいけないことが多かったり締め切りが頻発する事態になったりしても、それ以外のことに対するパフォーマンスはそう変わらない人間であると思っていたが、地味に洗濯物や食器の洗い物が溜まっていることに気づいて定時後無理やり全てを片付けた。やらなきゃいけないことよりやりたいことを優先してしまうけど、結局そういう生活をしていると上手く人生って回っていかない。余力を振り絞って生活する日々を送るのはしんどいけれど、ずっとそれが続くわけじゃないと分かっているからなんとかやっている。仕事が切羽詰まると就寝が遅くなる。明日になるのが怖いから。
月が綺麗だよと言われたので外に行って月を見てみた。綺麗だった。こういうことの繰り返しでいいと思った。散歩をしていたら目の前に学生たちがたむろしていて、少し前の私とおんなじように月を見上げていたからいいもの見れたような気がした。

 

8/1

あーあーあーうーうーうー。早起き、会議、作業、雷が鳴る。心臓が飛び出るほど驚いてしまった。久々に雨が降った気がする。洗濯物を雨が降る前に取り込めたので良かったんだと思う。今年に入ってから10時に仕事に間に合えば良かったところが9時に間に合うようにしないといけなかったりで、そしたら出社するなら7時半には起きなきゃいけないというような日が少しだけ増えた。いつもより1時間早く起きなきゃいけないだけなのに体が動かなかった。結局今日は出社しなくて良いことになったので在宅に。雨ひどかったから外に出なくて良かった。
しばらくずっと、目を逸らしていたけれど。自分以外を気にかけてるのってすごくわかってしまう。だいたいそういう勘って当たるもので、こういうことにだけ鈍感になれたらと思うのだが発達してしまった勘を元に戻すことは難しい。その自分以外への気遣いってほとんどが一過性のものでしかないということを頭ではわかっているのだが、心は悲しい気持ちになったりするのをやめられない。なんで悲しい気持ちになるのだろうか。ちゃんと自分に向き合ったら答えが出てくるような気もしたが、いちいち小さいことで自分に問いかけるのは身が持たないからやめておいた。そうやっていつも重要になるかもしれないことへの思考をやめてしまうからいつまで経っても......とか思うけれど、雨の日に考え事をするのは良くないからとりあえずここに書き留めておいた。暇になったら考えればいい。いつの間にか残業。
ソファを買い替えようとして注文。今使っているソファは安物だったのでもう座面のクッションの綿が分散して、コイルの骨が腰に当たってしまう。なので少しだけ値段を上げた、安物のソファを注文した。安物が私の部屋を巡っていく。

植物園。海。花火。大学セミナーハウス。

とりあえず夏なのでやりたいことくらいは書き留めておこうと思う。

 

植物園

植物園にずっと行きたくて都内の植物園を調べてみている。あまり植物に詳しくないしなんなら虫全般苦手なので、自然を感じる花畑や山などに行く時はかなり気持ちを作り込まないといけないのだが植物園だけは別だ。大きい花や木を、整えられた自然を見ることで自然を楽しむ気持ちに近づくことくらいはできる。
今のところ夢の島熱帯植物園に行ってみたい。昔爆笑問題や千秋が声優をしていたT.I.M.という謎ゲームがあるのだけど、そのゲームの舞台に似ているからなのかもしれない。あとは人に小石川植物園を勧められたが、建物がかなり趣ありそうで気になっている。

www.yumenoshima.jp

koishikawa-bg.jp

 

横浜出身なので港とか海が割と身近な人生だった。神奈川で海を見るなら江ノ島だったり横浜大桟橋など様々あるが、私が好きな海は葉山の海である。人と海の話をしていた時に、別々に一人で海に行って夜に集合して、一日葉山で過ごしてその日やったことを報告会しようよと言われた。面白そう! 絶対やりたいことかもしれない。
ここ最近ずっと家で仕事しているので会社に出勤すること自体減ってしまったが、もともとは出勤する電車に乗って、そのまま会社をフケて葉山の海に行ってしまいたいと思っていた。多分そうするとき、季節は冬なんだろうと思う。

 

花火

花火大会を見るよりも手持ち花火をする方が好きだ。今住んでいるところの近くに、花火ができる公園があると知って花火を久々にやりたい気持ちになっている。最後にやったのは、もしかしたら2018年くらいだったかもしれない。
横浜でやっている花火大会に毎年行っていたのにいつから行かなくなったんだろう。ぎゅうぎゅうに詰まった横断歩道を渡る人々にもみくちゃにされて、人間のにおいに酔ってしまうようになってからかもしれない。人混みが年をとるごとにどんどん苦手になっていく。都内に向いてない。こんなに都市が好きなのに。

 

大学セミナーハウス

八王子にある教育研修施設。正直個々の施設がやっている取り組みをよく知っているわけではないのだが、ここにあるセミナーハウスの造形が凄すぎる。詳しくはリンク先を見てほしいのだけど。
元々セミナー施設なので会場を借りたり宿泊施設に泊まることもできるらしいが、セミナーハウスを見学するだけでもいいのだろうか。今年以降はこういう建築物を見ていくのもいいなあとぼんやり思っていた。こういうの見ようと思うと美術館しか思いつかないからそういう意味でも。

https://iush.jp/

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最近また文章があまり書けない日々だ。代わりに積んでいた本や借りていた本を読破してみている。
「断片的なものの社会学」「正欲」「こちらあみ子」「ラカンの仕事」「<責任>の生成」
11月の文フリどうしよう。申し込みだけはしているし次の本に向けて文章を書き始めてはいる。はじめているだけ。

文学フリマで買った本

5/21に行われた文学フリマ、出展者ではあったけどもちろんたくさんひとの本を買い込んできた。あまり買った本の感想とかを書くタイプではないのだけど、今回は知り合いの本も結構買っていたし、どの本ももちろんよかったので簡単に感想を書きたいと思います。著者敬称略。

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マンスーン
「20180915-20221228」

マンスーンさんのツイッターは結構前からフォローしていたのだけど、まさか2018年からのツイートが載っているなんて思わなくて、思わずのけぞった。ずっと140文字でこんなに特徴的な日記が書けるのすごいなあ、でも誰もが共感できる瞬間的な感情をのせているなあとか思っていたのだけど、こうやってまとめられていると圧巻のひとことしか出てこない。表紙デザインもかなり素敵で、マンスーンさんは昔好きなミュージシャンのCDデザインをしていたのだけど、そのデザインもかっこよかったのを思い出した。

 

mori&myc
「書き足りない気がしている」

(文フリ経由で仲良くなった)もりさんとそのお友達みやしさんの共同エッセイ集。あった時にこの本の話題が出てきてワクワクしてたから実際に買えて嬉しい!
出てくる話題や生活などもそれぞれ違うんだけど、どちらの文章も淡々としている部分があり、でもなんだか面白い出来事が起こっているのをじっと見つめているような気がして、さらに読んでいる自分がそれを覗かせてもらっている気になる。「いい感覚」になる。読んでいるとお二人が仲良いのがなんとなくわかるというか。私もふたりの友達になった気分だ。

 

黒木貴啓
スタジオジブリの仮面と覆面」

ジブリ作品に出てくる面についての本になっているのだけど、黒木さんの調査と思考からつらなる文章は毎回唸ってしまうほど面白い。ジブリ作品や仮面にあまり触れてこなかった人も絶対読んでほしいと思わせる考察力。四季ムツコさんのイラストがあるおかげで視覚的にも想像しやすいから、仮面文化に疎い私でもいろいろ想像できて楽しかった。なんといっても私は民俗学が好きで! だから読んでて楽しかった。

 

ムラタエリコ
「ユーハブマイワード」

むちゃくちゃ文章がうまい。プロのエッセイかと思った......。
飾りすぎていないし、自分の思考だけガガッとのせているわけでもないのに、どうしてか、彼女の心の一部分を見せてもらったかのような描写、凄すぎた。読みやすいのに没個性じゃないって、私にはとうてい真似できない。本当に真似できない。ページ数が多いのもそうだけど、立体感ある文章だから読んでてすごく満足しました。これいろんな人に読んでほしいなあ

 

西川タイジ
「はなればなれ」

私は以前出されていた「ミスドスーパーラブ」のキャッチーさと面白さが好きなんですが、今回のはなればなれもかなりよかった。特に最近自分が短歌に目が向いているというのもあるが、短歌7首とそれぞれの短歌から着想を得たショートショートを載せる、という構成がかなり好きでした。短歌だけでも成り立つけれど、それを解剖するみたいな物語、どれもグッとくるポイントがあって嬉しい気持ちに。やっぱり人間って少ない情報量で考えるのも好きだけど、どういう背景があるのか、を知るのも好きだということだ。

 

履歴書籍
「履歴書籍 第一巻」

私のブースの目の前に、気になっていたブースがあったので光に寄せられる虫のように買いました。人には言えない人生の履歴書をいろんな人に書いてもらって、それをまとめたという本なのだが、テーマが面白すぎてまずその時点ですごいなと思ってしまった。本を作る時に面白そうと思ってもらえるテーマを作って、それに沿って中身を作るということが私にとってはかなり難しいことだと、エッセイを書いているなかでいつでも実感することである。

高石智一
「ハードワーク」

装丁が凝っていてすごい。ブースで野菜を置いていたのでめちゃくちゃ惹かれる。
小さいサイズに少なめのページで軽めの小説ではあるが内容はかなり緊張感のあるストーリーだった。終わり方、うおおと唸るほど。こういうプロモーションがうまい創作物はすごく尊敬できると思った。
エンターテイメントを知る人が作ったような本。

 

胎動短歌
「胎動短歌 vol.3」

好きな歌人が参加していたのと最近短歌が好きになってきたので購入。
すごいなあ、短歌っていう括りでこんなに自由に書けるものなんだなあ。いまをときめく歌人からベテラン歌人までの最新の短歌を読めるってなかなかないので、これを読み返して短歌の気持ちを高めたい。一個だけ好きな短歌のせてもよいでしょうか

千種創一
水槽に太いアリゲーター・ガー眠る、春の幽かな浮力をいなし

 

Aruko Hanane
「Unknown Signal」

カルチャー雑誌。めっちゃいいなあ、音楽評論とか映画評論を仲間内でやりつつ対談も込みで......という(感覚違ったらすみません)、自由なアンソロジー。最近出版社を通さないリトルプレスマガジンがかなり好きになっているので、フリーな感じの内容で嬉しかった。カルチャー系と言うことで割と自分の興味がある範囲のことを解説していたりして、図らずも詳しくなった気分。こういう雑誌がもっと増えてほしい。

 

ヴァーチャル神保町勉強会
「ジリィスタイル vol.2 遊びを支える都市と場所」

うおおお〜〜面白すぎる。こういう本が読みたかったの一言。一応リトルプレスマガジンに該当するが、雰囲気は教科書のよう。何人かの論文をまとめたような本で、遊びや趣味というテーマを通しながら都市や場所のことを考察していくマガジン。
個人的に場所に楽しさや文化、カルチャーを見出すのがとても好きなので今の気分にぴったりだった。ちょっとこれがリトルプレス系で出てるってすごいことだよ

 

VACANCES MAGAZINE
「VABANCES vol.2 やさしいともだち」

なんとなく気になって立ち読みしたら、自分がよく行くお笑いライブの主催の人とほんの少し顔見知りの人の対談があって即購入。しかしそれだけじゃない!
いくつかのジャンル(音楽、映画、お笑い、漫画など)で、その世界に身を置いているアーティストなどが寄稿しているカルチャー雑誌。掲載ラインナップを見て一人でも気になる人がいたら買うべきだと思う。私は対談インタビュー目当てで買ったのに内容が面白くてすぐ読んでしまったから。

 

カフェバグダッド
「Baklava BANZAI deluxe」

私はトルコ料理が好きなのですが、特にスイーツの「バクラヴァ」がかなり好きです(トルコ以外にもバクラヴァはあるんだけど〜)。そんなバクラヴァの特集本が出ているのを知ったのですぐ買いに行った。
バクラヴァのことを知りたいならこれを読めばいいんだよ、と言えるくらいわかりやすくて文化的な背景も載せてくれている本。見てるとお腹空くのであんまり変な時間に読んではいけない。