連続し分断された日記

寂しさを忘れる仕事。SNSで見知らぬ年老いた誰かが、「人生いろいろあって結局今は独りで生きている。悠々自適だが寂しさを感じる」といった投稿をしているのを見て、心にダメージを受けた。怖いね。恋をしても結婚しても不倫をしても友情を育んでも教え子をたくさん作っても、他人との関係性を大事にした人望のある人でさえ、人というものは最期独りになる。それがすごく怖い。
しかもこういった投稿をしている人は一人だけじゃなく何人もいる。人生の終盤に寂しさを感じている人はたくさんいると改めてわかってしまったら、歳を取るのが怖くなる。一生19歳から22歳をループしていたい。てか責任とかあんまり負えないし若者のままでいたかった。でももう無理だ。なので、年齢なりの人生歩むしかない。私は私なりに大切な人たちを大切にするしかできない。

会社の飲み会が久々にあったので出社した。同じ部署の人と新しく入社してくれた人とその上司。なんか久々に3人以上で飲んだけど、必要以上に声を大きくしなきゃならないし喉が疲れる。
もんじゃ焼きの店に行ったのでやったるわいなともんじゃを焼いてみたが、色々不手際があって周りに突っ込まれる。すみません、すみません。軌道修正を他人にさせるのは仕事だけではなかった。後輩がもんじゃ焼きを食べたことがないということで、作ってもらったけど上手だった。
もんじゃは美味しいけどやっぱり広島風お好み焼きの方が好きだな。大阪のお好み焼きは嫌いではないけど、小麦粉の塊なので飽きる。

会社の人と飲むと、最終的にそれぞれの結婚式の話に終結するのは何故なんだろう。長く勤めてる人が部署に多いからだろうか。仕事の話をされるよりはいいよなと思う。
たまに「いつも休日何してるの?」と職場の人に聞かれる時、どう答えたらいいか迷う。私と同じような趣味を持つ人や、それに深い理解がある人があまりいない(と勝手に思っている)ので細かくは話せない。というか何度か詳細に話してみたけど、特に上司とかは「よくわからんけど話を合わせてくれている」みたいな感じになってしまう。
こういうとき、あー私は趣向が合わない人に物事を説明するのが下手くそなんだなー、と思うし、そんな気遣いいらないほど似たような趣向を持っていた前の会社の仲良い人たちは話しやすかったなー、と思う。だが今の会社でも、上司に(仕事以外)タメ口使うときはあるし、前の会社は役員がバラバラになってしまった。どの会社もいいところと悪いところがあるんだと思う。前述について詳しく書くことはない。

最近、いろんな人の話を聞いたり、いろんな作家のエッセイを読んだりしていたら、自分の書く文章がとても固く感じて、せめてここでだけでも無理しない文章を書こうと意識して書いている。
しかしこれが結構きつい。今までは頭に思った文章をそのままアウトプットすればいいだけだったが、今は一回思い浮かべた文章を柔らかい表現にしてみたり、適当な言い回しを見つけてみたりして、書く作業がスムーズにいかないことのほうが多い。そうやって書くのに苦戦した文章は、何故か読み返した時にうまく頭に入ってこない。頭を使わずに書いた文章はするっと頭に入ってくる。これって自分の文章だからなのか、文章の癖をわかってるから読みやすいのか、ただ単に上手く文章が書けなくなっているからなのか全くわからない。
それらをわからなくなってから、あんまり文章を書きたくなくなってしまった。疲れるからだ。疲れは全ての不調に繋がるじゃん? でも第三者に伝わるように/面白いと思われるように書いた文章でないと、読み手はつまらなく感じる。人から借りたバーナード嬢曰く。を読んでたらより一層そう思うようになった。わかっていても、やっぱり他人を楽しませようとして文章を書くのは私にとってはストレスなんだと感じる。じゃあ何のために文章を書くんだろう。
あーそう、今のも本当は「書くんだろう。」で終わらせたくなくて、なぜか「書くんだろうと思っている。」と、前にある感じる。と連続させて〇〇する。を置きたくなってしまう。そこに明確な理由がないから怖い。