日記

今日は中華街で食べ放題を食べた
小籠包を刻みしょうがと酢と一緒に食べたのがとても美味しかった

ジョージ・オーウェルの「1984年」、早川義夫の「女ともだち」を読み終えた

1984年は、設定の面白さが光っていた
後世に語り継がれるのがすごくわかる、
ディストピアのお手本みたいな設定である
ちなみに、私が1984年を読みたいと思ったのは、攻殻機動隊でも、平沢進の影響でもなく、「パラノイア」というボードゲームの影響である
https://paranoia.newgamesorder.jp/

ただ、ストーリーはなんだか昔の小説、という感じでとても感動したとか、面白かったという感想は持たなかった

そこはかとない白人主義的な書き口と、女性をただの性的対象にみているような表現が今っぽくないな、と思ってしまう理由だった
あんまりフェミニズムに興味はなかったが、やはり女性ということで多少は意識しているのかもしれない

女ともだちについて
楽家であり本屋さんでもある、早川義夫とその妻「しい子」の別れまでのエッセイ
他の人の書評にある通り全体的にピュアな文章だと感じたが、 筆者の妻や他の女性に対して非常に都合がいい考え方や不真面目さを受け入れるのはとても難しかった
だが、筆者とその妻の中でしかわからない関係性が「神聖」とか「綺麗な」と呼ばれる理由はわかる気がする
それは私たちがいくらエッセイなどを読んで覗き見しても、その全ては理解できないからだ
本の最後の方では、早川義夫の正直な後悔の感情が伝わってきて
思わず電車で涙ぐんだ

日記

ここ二日、仕事の関係で一日中立ちっぱなしになっている
5年ぶりに立ちっぱなしの日を経験したが、ふとももよりふくらはぎより、足の裏がとても疲れることに気がついた

そういえば、私のひざは普通と違って反り返った形をしているらしく
三鷹で整体をうけたときに、おじいちゃん先生が
「このひざで長時間立ったりするのはつらいでしょう」
と言われたことを思い出した

思うとヒールのある靴は苦手だし、同じ体制で立っているのも苦手だ
歩くのであれば問題ないのだが

日記

昔、ある人に「風呂掃除はスポンジじゃなくて手でやったほうが汚れが落ちる」と教えてもらったことがある

私の家は未だにバストイレ一緒なので、あまり湯船に浸かる機会はないが、それでも入りたい時は、いつもよりしっかり風呂掃除を行う
いつもの風呂掃除は風呂用の泡で出てくる洗剤を撒いて水で流すので終わりにしているが、ちゃんと風呂掃除をしたいときは洗剤とスポンジでしっかり洗っていた

今日、寒さゆえに湯船に浸かりたくなったので
風呂掃除をしようと思った時に、先述の言葉を思い出した
なんの気もなく手で湯船をこすってみる

すると、スポンジに比べて水垢がいとも簡単にとれるのだ!
これは思っても見なかった、なぜ、こんなに綺麗に汚れが取れるんだろう
そのまま風呂掃除を全て手で行った
いつもよりバスタブが半分の時間でつるつるになった

びっくりしすぎて、当時「手で洗った方がいい」と言われて軽く流した自分を殴りたくなった

これからの風呂掃除は手だけでしようと思う

俯瞰を思い出して

私が住んでいる街は、東京23区内ではあるが、その中でも住宅街しかないような、郊外とあまり変わらないような街である
だからなのか、小さい自動車販売所や自動車点検をしている工場が周りに多い

今日、スーパーから重たい荷物を抱えて戻ってくる時に、自動車の整備所の中で洗車機が動いているのが見えた
洗車機のブラシが水しぶきを撒き散らしながらぐるぐると回っているのを見て、なぜかとても懐かしい気持ちになった
そういえば、小さいときからガソリンスタンドで車の中に入ったまま、窓から洗車されている様子を見るのが大好きだった

洗車機のブラシが迫ってきて、窓にぶつかりながら回るブラシの様を見るのがなぜかよかった
たぶん、自分は守られた状態で、天地がおかしくなったようなぐちゃぐちゃの風景を見るのが好きだったのだと思う

似たような感覚は洗車以外でも体験できた
高校卒業時に、千葉の房総半島にいった時にフェリーに乗った
行きはからっと晴れて穏やかな旅路だったが、帰りのフェリーに乗った時はとても海が荒れていて外に出れないほど船が揺れていた
行きとは見える景色がまったく違って、灰色の波が窓にぶつかって、引いて、またぶつかるのが見えた
もちろんその荒れ模様なので、厳密には安全が約束されていたかと思うとわからないが、その当時の私はどこか他人事のように悪天候を見つめれたことがなんだか面白かった
(一緒にいた友人含めて、乗船していた人々はちらほら船酔いをしていた)

映画などでもその感覚を感じる時がある
ジブリ映画の「ラピュタ」で、天空のラピュタに向かうときに、雷が鳴る悪天候の中向かっていくシーンがある
そのシーンをみると、洗車機の中に入っているときや、フェリーの中から大荒れの波をみていたときのような感覚に陥る

そんなことを思いながら、去年の10月に大きな台風がやってきたことを思い出した
近年で一番くらいの大きさとニュースで報道され、こぞって窓に養生テープをみんな貼っていたときのことだ
台風が直撃した当日も、外で風によって大きなものが飛ばされたような音を聞きながら、他人事みたいに、俯瞰して地球をみているような気持ちになったことを思い出した

日記

Amazon echoを買ってから、家電を操作するのがとても楽になった
急いで家を出る時に「アレクサ、電気消して」といいながら靴を履けたりするのがいい

一番使っている昨日は、スピーカーとしての機能である
Amazon musicは使っていないが、普段使っているApple musicともある程度の互換性はあるようで難なく音楽をかけることができる

ただ、Amazon music以外のプロバイダだとあまり認識能力が良くない
私が何度言っても認識してくれないときがある
この前、BREIMENの「PINK」という曲が聞きたくて声のかけ方や言い方を変えたりしたが
何度言っても米津玄師の「メトロノーム」しかかけてくれない
何回もやりすぎて、米津玄師の「よね」の部分で私は「アレクサ!」と声をかけるようになった

そのせいなのか、最近、呼びかけるとたまに無視するようになった
「アレクサ!」
と呼ぶと、呼ばれた一瞬はランプを光らせ反応するのだが
「電気つけて」
と続けて指示を出すと、少し考えるように間が空いたあと急にランプが消える
多分発音や声の大きさが拾えきれずに認識を途中でやめたと思うのだが、また「アレクサ!」と声をかける羽目になるのが、なかなかつらい

日記

会社の会議室に一人でいる。残業している中、気分転換に日記を書く。

目がとても乾く。あまり目が渇いたことはなく、目薬も買わないような人生を送っている私に取っては、年に何度かくる耐えがたい目の渇きは、非常に煩わしく感じる。

ユリイカの今月の作品に投稿してみることにした。何度か続けていれば、入選することもあるのだろうか。飽きる前にさっさと書きあげ、封筒に入れる。
詳しい応募フォーマットが書いていなかったので、戸惑った。住所さえも明記されてないのだ、困ってしまう。

アイスを食べたい。アイスの美味しさはどこからくるのだろうか。
味の濃さと反して、質量のなさが際立っているところなのか。夏に食べるアイスを美味しいと思えば、冬に暖房が聞いた部屋で食べるアイスも格別だ。
私はどちらかというと、アイスの中にくだものやチョコチップなど、異物が入っているよりは(それらは私の感覚でいうと異物に近いモノに感じてしまうのだ)、アイス本体に味がついているものが好物だ。
クリーム状かシャーベット状かはあまり気にしない。

いまは、あっさりしたミルクのアイスが食べたい。

今日で先週金曜から始まった9連休半が終わる。この一週間半、とてものびのびと暮らしていたし、一週間もすれば仕事に戻りたくなるだろうと思ったけれど、全くそんなことがない自分に驚きを隠せない。

毎日働かなくていいなら、と思いを馳せる。
まず、いくつか貯めている本や漫画を読み漁りたい。分厚さにどうしても怯んで手が出ない「暇と退屈の倫理学」や、古本屋で買ったきりの「乳房とサルトル」「哲学のすすめ」「楽しいプロパガンダ」など。
借りているつげ義春の本もまだちゃんとは読めていない。読み切った本も返さないといけないのに。
その次に、小説を何本か書いてみたい。短くてもいいから、一週間に一つは書き上げてみたい。その後、手当たり次第に小説の公募に送ってみたい。
あとは、今まで面倒くさがってしていなかった料理にも挑戦してみたい。例えば、鯛のパン粉焼きとか。

転職活動も、仕事もうまく行っていないし、競馬もなかなか当たらない。早くぼーっとしているだけでもいいくらいのお金を手に入れたい。

寝なければいけない日はいつも寝れないのに、今日はとてつもなく眠気を感じている。0時になったら寝ようと思う。