最近

大切なものを誰かに譲ったときみたいな朝。最近は寝るタイミングを失敗しつづけて、ちんたら夜を過ごしているとどうしても外が明るくなってしまう。本当に欲のまま生きるのなら朝8時に寝て14時に起きたい。14時に起きたとしても6時間睡眠なのだから、今生きている数多くの人と時間がずれているだけでそこまで贅沢を言っているわけでもないだろう。ここ数日春になったからか、朝の5時くらいからだんだん鳥の主張が激しくなってきて、連続的に鳴き声を聞く羽目になっている、昨日家の近くの川沿いを歩いていたら鳩の群れが蠢いていた、東京に5年住んでいてこんなに鳩を見ることは今までなかった。

夜、何かをしているかといえばそんなこともない。年始に今年はもう一回エッセイの賞に応募すると決めたのだがなんとなく書く内容を決めかねてずるずる日々を過ごしている。おかげでスマホの充電の減りがどんどん早くなってきた。

一時期かなりの頻度で夢を見ていたのだが、あまり見なくなってきたことに気づいた。いい夢もよくない夢も見ていたつもりだけど記録に書き留めてないとこうも思い出せないものかとも思う。昔は面白い夢を見たらちゃんとメモに残しておいていて、だから今でも覚えている夢がいくつかあった。夢の中で、遠藤憲一が何回も出てきた時期があった。夢の中で、知っている人の顔が金太郎飴になってたくさん切られていたこともあった。

一度だけ会った人がTwitterで動画に載せられていた。よく知らない人なのに顔だけ知っているから変な気持ちになった。動画の全部は見ていない。知っている人が何かしらのメディアに出ていると、なんとなくその全てを見ることができないところが自分にはあるのだが、そこまで知らない人でもその部分が適用されていることに気づいた。説明を省くから飛躍するけど、なんか自分と他人の境界が年をとるたびによくわからなくなっている気がする。
似たような(でもあんま同じことではない)ことを言っている人をWEBメディアの記事で見かけて、その気持ちが少しわかり始めている。

親がまた福岡に行くらしい。

脳の体幹が発達してきた

しばらく感情を揺さぶられるような出来事が起きていない。
嬉しいなあ、とかムカつくなあ、とか思うことはあるけれど、気が狂いそうなほど何かに囚われたり、今まで人生に起きた最悪なことを帳消しにできるほどの幸せも直近訪れていない。ちょっと困っている。

精神に波風立たず安定しているのは基本的には良いことだと思える。小さなことで嫌な気分にならないし、やらねばならないことをやる時に感情が邪魔してこないのはそれはそれは楽なことだった。しかしどんどん、何かを感じる機能が失われていっているような気もしている。これを書いている今も、思っている。
前なら取り憑かれたように小さなことを膨らませてうじうじ書いていたのに、今は書くより前に「こんなこと書いてもな〜」とか思って、この文章を書く前にもう三つも書きかけのごみくずを錬成してしまった。もうそれらの続きを書くことはない。これを書いて公開するのも悩むほどどうでもいい文章にしか見えなくて、ちょっとウケてきた。じゃあ書かないほうがいいと思う。

ここ最近の出来事の少なさと、反比例するように揺さぶるものがないからどんどんマッチョになっていく脳みそを誰かにパンチしてもらいたい。
あー! 私楽しいんです、辛いんです、でも生きていくんです、そうするしかないから。そんな気持ちに誰かさせてくれ〜

そう思っても結局最後は、自分で脳みそを揺らすしかない。どうせ何かを感じてどう思うかを決めるのは自分自身なのだし。
できればめちゃくちゃ辛くなりたい。なんだかんだもう人生終わりですわ! と思ったことも少ないので、そう思ったとき自分ってどうするんだろ〜。自分のことなのに全部他人事の世界だ。

↑こういうこと昔、もう関わってない誰かに言ったら「インプットが必要な時期なんだよ〜」って言われてなんか腹立ったこと思い出した

春ってマジで気温差やばくてウケる

4/9

下北沢で開催される日記祭に私の本を委託します!→売り切れにより実物見れず
これには流石に笑った。購入してくれた方々、ありがとうございました!嬉しい。

tsukihi.stores.jp

13時くらいに友人を誘って下北沢に行って、日記祭の会場に行った。
友人に私の本を見てもらいたかったし、ツイッターで見かけた本や元々気になってた日記本があるということで行ってきたのだけど、なんかけっこうすぐ自分の本売り切れてました。というか月日さんに委託されてた本は部数の関係上ほとんど無くて、これはイベントの盛り上がりを感じるぜ......とアツさに心をひそかに燃え上がらせた。
出店ブースの方々もかなり盛り上がっており私も気になってた本を買えたり、めちゃくちゃ手の込んでる本を見れたりしてかなりよかった。いつかわたくしも出店側に......

月日は昔付き合っていた彼氏お気に入りの店で、当時はたまに知らない誰かの日記を買ってきているのを見て不思議だな〜と思っていた。けど本を読むことが好きになり、自分で本を出すようになったいまなら気持ちがよくわかる。
知ってる人の日記も面白いけど、知らない人の日記もめっちゃくちゃおもしれえんだな〜!買ったり貰ったりしたもの、大切に読みます。
月日の店舗を久しぶりに覗いたのだが、やっぱ心地いい場所だなと思った。

そこから下北の書店を少し見て、友人と「バックパックブックス」へ。
天気が良くてよかった。散歩が苦じゃないから。バックパックブックス、開放感があり気になってた本がたくさん並んでいて、心の中ではいろんな人が踊っていた。どちらかというとサンバの気分。

代田橋付近をうろうろしていたら沖縄タウンという未知のエリアに辿り着き、なぜここに沖縄料理の店が立ち並んでいるんだ〜!? とはしゃいでいたが、後程友人が町おこしの一環であるという記事を見つけてきてくれてなんかよかった。ちむどんどんまつりというのがあるっぽいので見てみたいですね。
「ちむ」って心のことらしい。みんな知ってた? わたし勉強してないから知らなかった。

***

本当にこういうイベントに参加するたびに本を自分で作っている人たちが現実にいて、それを目の当たりにすることができて嬉しい気持ちになる。自分が自分のために、他人のために、何か創作物をつくる。
これ、実は難しい。自分で何かを作り上げたい、この気持ち自体はわりと多くの人が思うことではある。しかし、実際に取り組める体力や気力、時間、アイデア、ちゃんと作り上げたいという気持ち、これらをもって実際に何か形にするのはとても大変なことなのだ。形にするだけでも大変なのに、手に取ってもらうのはもっと難しい。

こういう本を作ることを自主的にしていると、たまに人から「何か文章でやりたいことがあるの?」と聞かれることがある。聞かれるたびにハッとする。私は別に何かを成し遂げたいわけではないのだ。これは本を作っている人全てに該当する話じゃない。なので鵜呑みにしないで欲しいのだけど、私が本を作っているのは「作りたい」からなのだ。
やばいぜ、と思う半分、そういう気持ちを持ってないと創作活動なんて大変すぎてできないよな、とも思う。そんな自分が作った本を手に取ってくれる人たちがいることに、深く感謝をしたくなる。そして自分も人の作った本を手に取りたくなる。もっといろんな本を見つけたい。

なんか晴れの下北沢のはずれが穏やかすぎて、眩しくなった。あったかいってこういうことなんですねという気分になった。

めっちゃ正直になろうかな

なんていうか正直自分が今何したいかよくわかってません。
仕事もデカい目標があるわけじゃないし別にプライベートも成し遂げたいことがあるわけじゃないし、文章を書いてはいますが文章で何かこうしたいってめっちゃ思ってるわけじゃないし、若い時より本当に夢がなくなったなと思う。もう一年くらいこんな調子で、そんなんじゃ人生つまんね〜とは思ってはいるんだけど急に人生の方向性が変わるのもすごく嫌だ。
ちょっとかなり今不安かもしれない。不安を抱えていない人なんていないとはわかっているけど、こうやって人の目に触れるところに不安を吐き出す人も人類の総数からみると少ないと思っている。でもみんな実はツイッターの鍵垢とかインスタの親しい人向けに不安を叫んでいるのかもしれない。とにかく恥を重ねて生きている気しかしない。

割と人にどう思われたいとか、キモいとか変だと思われたくないという気持ちはあんまり抱かないけど、最近外の鏡とかで自分をみるとすごくもっさりしているように見えて嫌な気持ちになった。
でも今知っている人の、昔めちゃくちゃガリガリだった写真とかみるとかなり得した気分になるんですよ。ガリガリだった時とふっくらしている時の両方見ることができるって、やばくないですか?得してますよねこれ。やべー!(さいきんこっそりそういうことがあった)

もうめっちゃフワッとしたことしか書けないけど、ちょっと親交があった人、その人はいい人だったけど本気で嫌なところを知ってしまってクソがよ、となった(これを見れる状況の人ではないので自分のことだと思わないでください)。でもそんな部分を知り得ない人たちから〇〇さんって本当に素晴らしい!みたいなことを言われている。それはともかく、マジで信仰レベルに心酔している人とかいて複雑な気持ちになった。

最初は一部分しか知らないのにその人にお熱になるなんてすごすぎると思っていたが、だいたいそう言っている人は本気で言っているわけじゃないだろうし、本当は根っから素晴らしい人だったのに、私がやばいやつだったからそうなってしまったんじゃないかと思うと、悪いのって自分じゃないか!?とも思えた。
多分嫌な出来事って、そうじゃないことも全然あるけど、大体は自分の「行動のせい」であることが多いから多分私が悪かったんだと思います。やっぱ大人になると自分の行動に責任を持たなくてはいけないんだな。ここで書いとく。すみませんでした。もう人生が交差することはねーのですみませんでしたって直接言う必要はない。

こう言うこと書くとメンタル終わってんのか?と思われそうだけど実はそんなことない。ただ私がちょっと……痛いだけ!

***

4/9(日)に下北沢である日記祭にて私の作ったZINE(もはやZINEといっていいのか)が委託販売されます。いろんな方の日記本があったり、ライブとかもあるみたいなので(出ている人が豪華!)興味ある方や下北に行く予定がある方はぜひ行ってみて下さい。

この日記本は5/21(日)にある東京文学フリマ36にも持っていきます。既刊のエッセイ集「味のない毎日」「路地裏」も持っていくので、ブースでおしゃべりだけでも良いのでお越しになる予定ある方はぜひ立ち寄ってください。励みになります!
通販は文フリ終わり次第用意いたします!
特に既刊の「路地裏」は在庫がなくなったらしばらく刷る予定はないので、気になってたら立ち読みだけでもしてください〜!

「わたしに寝るまえの10分をください」
サークル名:イン・シティ
48P・500円
2023年の1~3月の日記をまとめた日記本になります。

場所:BONUS TRACK GALLERY/広場
時間:11:00〜17:00

note.com

そういえばの連続

なんか急に昔やってたコールセンターの仕事のことを思い出してしまった。三年働いてたけど、コールセンターで身についたことといえば、仕事上の電話に嫌悪感が無くなったことと、どんなにきつい方言で喋られても聞き取れるようになったことだけだ。三年間ふらついてた時間の代償の方が大きいのかもしれないとまで思うが、一時期天職とさえ感じていたのでそれなりに楽しい仕事だったのだろう。

働いていたコールセンターはかなり小さい規模感の事務所で、社員とバイト全て合わせても30人いれば多いほうだったと記憶している。コールセンターの社長はバブル期の遺産と言えるような人間で、無自覚のセクハラ、パワハラをバイトたちに日々繰り出しているオートマチック・カス人間だった。ワンマン社長ならではの士気の上げ方やクレーム処理と会社経営のセンスはあったと思うけど。
私も社長に雑な言葉を投げかけられていた方で、タバコを吸えば「柄が悪い」と言われたり、口紅が濃いだの、腹が出てるならそんな服は着るなだの、痩せてガリガリになれば「おまえ、上半身男みたいになってるぞ!(胸がないって言いたかったの?)」と言われたり、散々な有様だった。
一時期、めちゃくちゃ美人な大学生が入ってきて背中が大きく開いている服を着てきた時があった。流石に私も仕事中チラチラ見える背中を気にしながら「背中まで綺麗なんてすごいなあ」とぼんやり思っていたのだが、目の前にいる社長からラインが来た。

「〇〇ちゃんの背中が眩しいので隣の部屋で休んどきます。あとは頼みました」

めちゃくちゃキモくて笑ってしまった。わざわざ私に言うなと思いながら見送った、のそのそ部屋を後にする背中が忘れられない。

***

コールセンターで働くバイトに一人、40すぎの(多分)よしもとの(多分)芸人の男がいた。滝田さんという(仮名)。
滝田さんはアフロのようなチリチリの頭をもつ人間で、一時間ごとにはいる10分休憩で近くのコンビニまで行ってジャンプやマガジンを必ず立ち読みする男だった。休憩のうちにタバコ一本吸って戻ってくるのすらギリギリなのに、よく歩いて数分のコンビニまで行って立ち読みできるよな〜なんて思っていた。

その後私はコールセンターを辞め、そのコールセンターから五分も離れていないWeb系の会社に転職をした。近場で転職した割にはコールセンターの人間とすれ違わなかったのだが、滝田さんだけはたまにすれ違って挨拶をしていた。
ある時転職先の同僚と近くのコンビニに行っている途中だった。

「なんかここのコンビニなんですけど、毎日立ち読みしてるアフロの男の人いません?」

滝田さんだ、と私はすぐ気づいた。その同僚がコンビニに行く時間と滝田さんの休憩時間がかぶるのか、ここ数日毎日その男を見かけるようだった。自分の前職にいた同僚がまさか転職先の人間に話題にされると思わなくて思わず笑ったし、その人は毎日どころか一時間ごとにそのコンビニで立ち読みしてるんだよ、と思った。

ふと気になったのでそのコールセンターを調べたら、渋谷の桜丘町にあったのが今は移転して道玄坂の方に事務所があるようだった。儲かっているということだろうか。
今はあの古いマンションの一階でタバコを吸う人間たちも見ることはないのだろう。

***

ちょうどそのコールセンターで働いていた時に一人暮らしを始めた。駒澤大学の7万円のアパートだった。
本当は中目黒に住む予定だったのだ。一人暮らしをするタイミングで親戚のツテで中目黒のマンションを紹介されていたのだ。その親戚が持っている物件で、中目黒徒歩八分ほどの1DK、まあまあな高級マンションを格安で貸し出そうかと連絡があった。一人暮らしをするなら田園都市線東横線で探していたので、こんな話はめったにないと話を持ちかけられた時には二つ返事で了承していた。中目黒の1DKなんて10万以上はしただろう。もしかしたら20万いってもおかしくなかったかもしれない。そんなところを数万円で貸し出してくれるなんて、私はかなり浮かれていた。

さあやっと一人暮らしをする日を決めるぞ、と言うタイミングの出来事だった。親戚から連絡が入る。
マンションの話だが、なしにしてくれと言うものだった。私は驚愕した。なしに!?
その連絡は話を持ちかけられて内見を終わらせて契約をしましょうと言うタイミングだった。わけを聞くとその親戚のもっと近しい親戚(私からみるとはとこ?いとこ?くらい)がどうしてもそこに住みたいとだだをこねたらしかった。年齢を聞くと26歳、その当時私は21とか22だった。おいおい、そこは金銭的に余裕のない若者に譲ってくれよ、と落胆の気持ちを隠せなかった。しかしそうやって連絡してきたということはもうその親戚に譲り渡すことが決まっていると言うことだ。やりきれなかった。

そんなこんなで私は中目の高級マンションに住むことは叶わなかった。当時、その親戚と同じ年齢になったらそのレベルの場所に住めるのかなあ、と思っていたが、その年齢を越した今でもそんなランクの場所に住める気はしない。
友人や職場の人間にはあまり話していなかったのが幸いで、特にあのコールセンターの社長に中目に住めるといいふらしてなしになったとなったら、しつこく浮かれていた自分をいじられていたのだろうと思う。嫌な話だ。

他人が肉を移動してくる

いつのまにかSNSで出てくる広告が下着の広告ばかりになってしまった。別に最近下着のECを見ていたとか、下着メーカーのアカウントとかを見ていたわけではないのに何かしらのマーケティングのターゲットに引っかかったのか毎日毎日下着の購入を勧められて複雑な気持ちになる。たまに女性用の下着のキャッチコピーを考える人になったら楽しかったかなと思う時がある。

「掴んだ肉を離さない♡まぁるくバストメイク(まぁるくの"ぁ"の部分ってば!)」「毎朝つけたくなる下着(つけないことがあるという前提がないと出てこない言葉)」
一瞬目を疑うようなこってりしたキャッチコピーを見かけることもあるが、こういったコピーほど何回も会議を重ねて出て来た言葉だったりするものだ。昔仕事でキャッチコピーの誕生の瞬間に立ち会ったことがある。コピーというものは想像以上にいくつもの言葉を組み合わせて、会議や思考を重ね、それはもうたっぷり時間をかけて決定される。売り出す商品のフックになるものだから力を入れるのは当たり前とも思える。が、たまに見かけるとんでもない言葉が羅列されたキャッチコピーでも時間をかけて作ってあると思うと、ある種頭のネジを意図的に外さないと仕上がらない狂気みたいなものが必要なのかもと感じてしまう。それと同時に普段のコミュニケーションではなかなか出てこない濃ゆ〜〜い単語が仕事の会議で大量に並べられてひとつひとつ選ばれているのを想像したら、かなりシュールで面白かったと思う。実際やってみるとおふざけひとつない真剣な場だということの方が多いのだが。プロ意識がなせるということか。

プロといえば、(女性ならわかってもらえると思うが)女性の下着販売店にもとんでもない販売員がいたりする。女性の下着は胸部につけるものだったら大体試着できる。自分で付け心地を確認するだけの場合もあれば、店によってはきちんとその下着を付けられているか調整してくれる場合があるのだ。どうしても商品の性質上自分の体を触られることが必須になるのだが、初めて店員に調整を頼んだ時、本当に体の肉をそこまで大移動させてもよいのですか? というほどグイーンと引っ張られてかなり焦った。割とこの意見はあるあるで、大体ちゃんと調整してもらった人は同じ感想を持ったりする。
たまにベテランの店員に当たると、すごい。全ての肉を全て下着の中に入れ込むわよという意志を感じるほどにぼんぼん詰め込んでくる。確かにそのあと鏡を見ると知らない世界が広がっていることが多いが、その感動を打ち消すくらいには大胆な手捌きで己の贅肉の形を変えてくるので、ありがたいと思いつつも緊張してしまう。

こういうことがあるたびに男性も似たようなことがあるのかな〜と考える。私は男性の体になったことはないので想像もつかない。敢えて言うならスーツを作る時とか? でもスーツを仕立てる時に自分の肉を衣服の中に詰め込まれるという体験はしないだろうなとも思う。別にすごく知りたいわけではないので、異性に直接聞いたことはないが輪廻転生を信じるなら来世男性に生まれたときは身につけるものの衣服全て、一回は試着してみようという気持ちは少しある。

一番嫌い、年末年始

年末年始が嫌すぎるという気持ちで今年を始めたのにもうまた何回目かの年末年始が近づいてきている。今年ひいたおみくじは大吉だったのだが、それに見合わない一年を過ごしたことに憤りまで感じる。やっぱりおみくじなんて大きく言えば「デマ」だ。実体のない偶像に人の人生の一年を任そうと思うほうが馬鹿なんじゃないか。そう思いながら来年の年始にはすべてすっかり忘れておみくじを引きにいく私の姿が容易に想像できた。

年末年始は実家に帰らない。帰る年もあったのだが、地元の仲いい友達はほとんど東京に出ているし、なんとなく家族といると一人でいるより消耗するので、今年は帰らないことにした。こういう時コロナはありがたい。というかコロナ禍で出来なくなったことも多々あるのはわかるのだが、常時マスクをつけなければいけない以外、私の生活が一変することはなかった。別に、コロナ禍であってもなくても、ほとんど生活は変わっていないのだ。
実家は神奈川で、帰ろうと思えばいつでも帰れるのだが、あのニュータウンのやけに整った街並みがどうしても受け付けない。別に実家に恨みはないのだが......

一番好きなシーズンはクリスマスとバレンタインなんです、と会社の先輩に言ったら「まあ~! かわええなあ!」と子供を褒めるような声色で反応された。思えばどちらも日本だと恋人やパートナーに深く関わる(と思っている人が多い)イベントだったことに後から気づいた。
私だって恋人がいたらちゃんとそれぞれのイベントを楽しもうとするだろうが、私がクリスマスとバレンタインを好きなシーズンに挙げたのは、単にその時期は美味しいケーキやチョコレートがデパートに死ぬほど並ぶからだった。色気がない自分の考えは、特に口から出されることなく私の中で消化されて消えた。

 

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気が向いたら追記