さよなら

3年間住み続けた家からついに卒業する時が来た。
4年前に横浜から東京という短距離間でこっちに出てきて、いまだに実家にいた時とさして変わらない行動範囲なのを考えるともう少し実家で暮らしてもよかったのではと感じるが、それでも私は一人暮らしのために東京に出てきて本当に良かったと思っている。

実家はとても苦手だ。横浜という地と、うまく機能できなかった家族を思い出すと、近くても帰りたくない場所。コロナを理由にもう一年ほど帰っていない。幸い母親も気を使ってくれ帰省を要求することはないのだけれど、「帰ってきて」と言われてもほとんど私は帰らなかったと思う。往復800円しかしないのに、それでも帰りづらい場所。母親にはごめんとしか言えないが、そんなこともわかっているのか彼女は私に深入りしようとしないでいてくれる。ありがたいが、同時に罪悪感も同じ重さでのしかかってくる。

少し疲れた。

そうめんとの共存

お題「夏に食べるもの」

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毎年、6月あたりから「おや、今年も半袖が着れるようになってきたな」と、冬から続く長袖の服たちをしまえるような陽気に感謝をするようになる。少し動いただけで汗がじんわりまとわりつくような長袖から、通気の良い半袖に衣替えをするたびにあったかいっていいなよあ、と感じることが増える。
しかし毎年7月あたりにやっと気付くのだ。夏は私にとって地獄の季節であり、忌み嫌うべきものだということを。

ここ数年、7月の半ばあたりから気温は30度をゆうに超えてくる。意味のわからないほどの熱気が日本を襲う。汗っかきの私にとっては、また地獄が始まる、と6月あたりに感じていた感謝の気持ちから手のひらを返して日本の気温を恨むようになるのだ。今私が住んでいるところが日本というだけで、昔旅行にいったハワイでもいくら湿気がないとはいえ日陰でもその地獄の気持ちは変わらないほど暑い。つまり真夏は一年の中で一番嫌いな季節なのである。

8月上旬の現在、外に数分出ただけでも泣き出したくなるほどの暑さが昼間を司っている。さらに、去年初めから世界に蔓延する新型コロナウイルスのおかげでほぼ全日本国民がこのクソ猛暑のなかマスクをせざるを得ない状況に陥っている。
少し前であればこんなに暑くなかったし、マスクなんてもってのほかだったので「暑いね〜!」とか言いながら、友人とキャッキャとかき氷を食べるためだけに日陰もない表参道の道路に並ぶことができた。だが、流石にこんな状況になっては去年、今年とそんなことはできていない。している人がいるとすれば、それはキラキラインスタグラマーではない。被虐愛好家だ。

そんな不自由な今年の夏でも私の心を躍らせてくれる風物詩がある。あまり季節のイベントに興味がない私だが、この時ばかりは定義づけたマスメディアには感謝するしかない。私が足を向けて寝れないのはどこだ。お台場か。六本木か。赤坂か。

そうめん。夏といえばそうめんなのである。

あらゆる飲食店にそうめんのメニューが頻出するようになるのが夏だ。さらに、私の家から5分のスーパーは夏になると揖保乃糸がかなり安くなる。まるで季節の野菜みたいな価格変動だが、三年住んでいて三年とも安くなっているのだからそういうこともできるのだろう。だって夏なんだから。
私は夏になると(正確には7月に入って暑さが尋常じゃなくなると)急いでそうめんを買いに走る。そのままスタンダードに茹でて麺つゆで食べてもいいし、豆乳スープでラーメン風にして食べるのもよい。今年Twitterで見つけたスパイスを使ったレシピも試してみたが、これまた美味しかった。クミンとツナの風味が、どうしてだかそうめんのつるっとフニャッとした感触と合うのだ。大食いの私でも夏は必ず食欲が落ちてしまうのだが、それを救ってくれるのは、そう、そうめんだ。

しかし昔からそうめんが好きだったわけでもない。
なんなら数年前までは苦手な食べ物だった。

中学生の頃まで遡る。
夏休みは親が頑張って毎日昼食を作って出してくれていた。それには今でも感謝の気持ちしかないが、作るのが楽だからか一週間に一回はそうめんが出てきていた。幸い母親も父親もそうめんに対してはどちらかというと好感度高めだったので、コンスタントに切らすことなくメニューがそうめんの日は続いていた。私はそうめんが出てくるたびに「またそうめんか」と思ったのだが、そう思うだけだった。そういう感情しかなかった。

そして、中学三年生、夏休み最後の日、いつものようにそうめんが出てきた。特に私はそうめんのことが好きでも嫌いでもなかったので、ごく普通に食べ、ごく普通に完食した。その時、声には出さなかったが、あることに私は気づいた。

「そうめん、食べるたびに胃のなかが気持ち悪くなっている気がする...!」

たまにこんな話を聞くことがある。好きな食べ物を何度も何度も食べていると、食べすぎて気持ちが悪くなり、その末に今後いっさい食べたいと思わなくなるほど苦手になってしまう。これを読んでいる人の中でも、一定数そういう出来事を経験したことがあるかもしれない。
つまりその時の私は同じようにそうめんを食べすぎて気分が悪くなっていた。

そうはっきりと感じる*まで自主的に食べようと思っていないので、気付くまでに時間がかかっていたのだが、実は週一回はなんとなく食後の気分が悪いと思うことが必ずあった。特に重大な病気などではないと思っていたが、まさかそうめんのせいだったとは。
* そうめんを食べすぎて気持ち悪くなると思うまで

それから私はそうめんをいっさい食べなくなった。夏以外そんなにそうめんと巡り会う機会がないので、そこまで困ることはなかったが、毎夏「そろそろそうめんの季節だね〜」とか腑抜けた会話が起こっていてもうまく乗り切れず、しまいにはそうめんが苦手とばれてなんとなく「そうめんが嫌いなことってあるのか?」みたいな、なんだこいつという目を向けられることもたまにあった。少し、その時ばかりは気まずかった。


しかし、その数年後、いまから四年前くらいだろうか。そうめんへのネガティブなイメージを崩すそうめんがはなまるうどんから飛び出して私の知覚に入ってきたのだった。

ある夏、その時もうだるような暑さ。当時渋谷で働いていた私は休憩時間に食べる昼食を考えあぐねていた。ん〜と手持ち無沙汰になってTwitterを見ると、バズったツイートが目に入る。

はなまるうどんのそうめんがうまい」

そんなツイートだった。なんでそんなシンプルな意味合いのツイートがバズったのかはわからないが、確かそうめんがはなまるうどんから出たのが初めて?久しぶり?だったらしい。そうめんだけではなく梅やネギの薬味もちゃんとついてくる。偶然にも私の職場ははなまるうどんにめちゃくちゃ近かった。し、ギラッギラに太陽が出ている真夏、久しぶりにそうめんにチャレンジするのもいいかしらとその時は思えたのだ。いまツイートを探しても出てこな買ったのだが、それほど食欲をそそるツイートだったような気がする。ま、苦手でも天ぷら食べれるしね。天ぷらはずっと好きなのだ、私は。

決めてからの行動は早かった。財布を手に持ち競歩でも練習しているのか、というスピードの早歩きで渋谷の人混みをかき分けかき分けはなまるうどんに向かっていく。歩くスピードが速すぎて、人と私の間に一瞬抵抗からできる風圧が発生していたかのようにも感じた。
はなまるうどんに入ってからも、私はソワソワしっぱなしだった。絶対そんなことあるわけないのに、売り切れていたらどうしよう、前の人で最後になってしまったらどうしよう。この気持ちのままかけうどんを食べることは今の私には到底できない。無理だ。

ドキドキしながら迎えた私の注文の番。緊張しながら「そうめんのやつ」と声をかける。威勢のいい掛け声にホッとした。まだそうめんはあったのだ。そうめんと合うかもわからないのに、とりあえずさつまいもと半熟卵の天ぷらも皿に乗せておいた。
どうぞ、という声とともにそうめんがトレーに置かれる。なんてことない冷製のそうめんだ。代金を払い、カウンターに座る。天かすはどうしようかなと思ったが、一旦乗せておくのはやめておいた。

さて、数年ぶりに食べるそうめん。急に後悔の波がすぐ後ろまで近づいているような気分になった。その日は給料日まであと三日。この貴重な千円をこのそうめんに使ってよかったと思えるのか?もしかしたらいつものように歩いてすぐのセブンで、すじこのおにぎりでも買っといた方がよかったんじゃないのか?この千円で得れる幸せが他にもあったのでは?と暑さもあって頭の中がぐるぐるしてきた。しかし払ってしまったものは仕方ない。水を勢いよく飲んで、そうめんを一口食べることにした。

「うまい」うまいのだ。
びっくりした。うまいよ、そうめんってうまいんだ!

つるっとした食感と、柔らかさはありつつもちゃんと芯がある。そしてうどんと比べて軽い食べ心地が喉を通り過ぎるたびにスッキリする。うわあ、そうめんって美味しいんじゃん。
なんで今まで避けてきたんだろう。そもそも苦手になったのだって食べ過ぎが原因だったわけで、そうめん自体を嫌いになったわけではないのに。

かくして、私はそうめんへの忌避感情をなくすことができ、なんなら割と好物の部類に入るまでになった。ちなみに、さつまいもと卵の天ぷらはそうめんには合わなかった。


そして夏がまたやってきた。止めどなく流れる汗といつまで経ってもフラフラするような熱気、さらにウイルスの脅威と様々なネガティブ・ポイントが夏にはてんこ盛りだが、今は一筋の光をそうめんに感じることができる。
まるで茹でる際に広がったそうめんたちの一本一本が曇天から降り注ぐ光のようだ。天からの思し召しなのか。ぐるりと鍋の中で菜箸を回す、これが神への愛の儀式なのだと。エイメン。

いやそこまでではないか。
夏がなくなる代わりにそうめんが世界から消えてもいいか?と言われたら、0.1秒もかからずに頷くと思う。
しかしそんな問いかけは一生ないので、この夏もそうめんと一緒に共存していこうと思う。

四月の神奈川は寒い

神奈川のとある駅に私は降り立った。もう四月だというのに、いまだに冷たさを孕んだ風を体全体で受け止めている。

地元神奈川を離れてもう四年。横浜のニュータウンで生まれ育った私だが、二十一年住み続けていても神奈川の地にはどうにも馴染めなかった。実家にいた時代から遊びに出かける際は渋谷か新宿と決めていて、今や都内で淡々とした一人暮らしをしている自分が今になって相模大野に向かったのは、これから訪れる長い休みの前に自分のルーツを見直したくなったからだった。

この地によく来ていたのは高校を卒業してすぐの頃。町田の近くに住んでいた友人に連れられて、しょっちゅう駅近くの喫茶店に入り浸っていた。その喫茶店は壁一面に映画のポスターを貼り付けていて、昼でも薄暗い。様々な大きさのソファと小さなテーブルが並び、店の中央にはボードゲームとスナック菓子がいくつか置かれている。

高校時代の友人と落ち合う時は決まってこの喫茶店と決めていた。年に数回あって、薄暗い店内の中で驚くほどリーズナブルなメニューとお酒を頼み、お互いの近況報告をしあう。今でこそ月日が経って疎遠になってしまったが、その喫茶店に集まる地元の若者たちで賑わう店内と、少しずつお互いの成長を感じていたあの時間は確かに私の中でまぶしく輝く記憶のピースの一つだ。

だが、今日相模大野に向かったのはその喫茶店目当てではない。その喫茶店を越えた先にある、タロット占いをしてくれるカフェを目指していたのだ。そのカフェにも昔いちどだけ訪れたことがある。ランチを頼むと一時間タロットで希望の事柄について見てくれる、というカフェだった。前に行った時からもう四年も経っている。その当時付き合っていた恋人について悩んでいた私を高校時代の友人が連れて行ってくれたのだ。

占いというものにちゃんと向き合ったことのない私にとって、本格的な占いを受けるのは初めての出来事だった。カフェのマスターはとても親身な人間で、優しく人々を包むような、ときたまバシッと激励の言葉をかけるような人柄である。人気の証か、私が占いを受けている時も別の客がカフェに訪れて占いの予約をしていく。

短くない年月が経っているので、私は少し緊張していた。予約をしっかりしたし、場所もわかっている。でももしかするとあの店は私の記憶の中で在り続けているだけで、すでに現実の中では無くなってしまっているのでははないだろうかとまで考えていた。
そんな妄想とはうらはらに、確かにタロット占いのカフェはそこに存在していた。少し重い扉を開けると一際大きく元気な女性の声が耳に飛び込んでくる。

「だから、私は絶対に幸せになる!」
「それはいいんだけど、そのままじゃダメなんだって!」

大きな声で男女が言い合いをしている。男の方はこのカフェの占いをしてくれる、というマスターだ。ひときわ大きい声ではしゃいでいるのは、女の方。きっと前の時間で予約していた客だろう。私より少し若そうに見える彼女は、占いの内容から発展して人生相談をしているところのようだ。

席に通されてメニューを出される。そのまま暖かいロイヤルミルクティーを出してもらい、私は彼女たちが話し終わるのを待っていた。彼女たちの話に耳をすませていると、とても話の内容がおかしくてときどきこちらまで笑いそうになってくる。

彼女はものすごく、なんというかパワーのある人間だと感じた。確かに言っている内容は「いい大学の男性と付き合いたい」とか、「この大学に受験したい」など突拍子もない話ばかりしているのだが、彼女自身がもっている力強さと自己肯定感によって、なんだかもうそのまま突っ走ってくれ、というしかないくらいの行動力を感じる。

「二十歳になったら全部変わるから! いい大学入って、好きな男の子とここに来るんだからね! 見ててよ!」

彼女が大きな声で冗談っぽく言う。それに対してマスターが「何言ってんの!」と負けずに大きな声を出す。とうとう私は堪えきれず笑ってしまった。
オンステージだ。そう狭くないカフェで、私とマスター、そしてカフェのスタッフ一人という少ない四人の客相手に漫談を行っているような。

「ごめんなさいねえ、こんなにうるさくて……」マスターが申し訳なさそうに私に向き直る。
「いや、面白くてつい笑っちゃいました」
「この際だからこの子に言ってやってくださいよ。ねえ、あなたは何歳?」急に巻き込まれる。
「私? 私はもう二十五になります」

ほらあ、と納得したようにマスターは女に向き合う。女は二十歳にもならない若い学生のようだ。二十五歳の観点からみて、この子どう思います? と話を振られてしまったので、改めて横の席にいる彼女に体を向ける。キラキラした真っ直ぐな眼をこちらに向けて私の言葉を待っている。いやあ、私はただの客なのに、何かこの人に言っていいものだろうか。

だが、何かの縁のように感じたのと、マシンガントークで楽しそうに話す彼女を見ていると昔の自分を見ているようで少し懐かしく思い、私は少しでも大人っぽく見えるように言葉を選びながら話すことにした。

実際、私だって周りの二十五歳より大人びているわけではない。もっといろいろ深みのある経験をしてきた同年代がいるだろう。もちろん私自身もそれなりに辛い思いをしたり、自分自身でどうにもならないほどの問題にぶち当たってはいたが、結局いまだにその問題に対して答えを出せていないことなんていくつもある。

「えっと、まず、それだけ強い思いがあるってことは素敵だと思います」
「でしょ! 嬉しい!」とびきり素直に彼女は笑う。目の前にいるマスターはすでに呆れ顔だ。
「でも、あえて言うなら、道を一つだけに絞らなくたっていいのかな、とは思って……もちろん、自分がやりたいことを叶えられるならそれに越したことはないんだけど、それが絶対叶えられるとは限らなくてね。そうなるくらいなら、一つの道だけじゃなくていろんな可能性を見て動いていくってのもいいんじゃないかなと」

そう言いながらこれまでの自分の歩んできた短い人生を思い返していた。私も昔に「やりたかったこと」でご飯を食べたいと思いそれなりに努力をしていたが、好きなものは好きなもの。仕事にするとなると、とても辛い思いをしなければならないこともあった。

だけど、それに耐えることができなかった。仕事だけじゃない。友人関係でも恋人との関係でも、全て自分の思い通りに行くことはなく、流動的に変化していく状況に合わせて自分の行動を変えなくてはならないことがたくさん、たくさんあった。隣にいる彼女を見ていると持っているパワーの強さを尊敬しつつも、もし何かを諦めなければいけない時がきたら、ぽっきり、彼女が思っているよりも簡単に心が折れ真っ白になってしまうこともあるのではないか、と心配になるのも事実だった。
 
当の彼女は、うんうんと深く肯いたかと思えば、それでも、と言わんばかりにひどくポジティブな感情をさらけ出してきた。

「それでも私はやりたいんですよ!」
「だめだ! 二人がかりで言ってもこれなんだもん! 強すぎる」
「ねえ、なんでそんなこと言うの! ひどい!」

くだらないじゃれあい。ここまで折れない、強い主張がある人を久しぶりに目の当たりにした。いつもの私ならひどく苛ついていたかもしれない。だが、その日は自分のこれまでの歴史を振り返ろうと思って神奈川の地に訪れたのもあって、自分の昔を見ているような暖かな気持ちになった。もはやここは、占い屋ではない。まるで午前0時の常連ばかり集まるバーのような賑やかさを持っている。前に行きつけのバーが欲しいなと思ったことがあったが、今この状況は結構近いのではないかとさえ感じた。

私も変わった。昔は初対面の隣の席の客と話すなんて考えられなかったのに、事実、そういう機会があってもうまくコミュニケーションが取れなかった苦い記憶があったのに、この場では自然と昔からの友人と話しているように振る舞えている。
それは自分の変化でだけではなく、隣にいる彼女の輝きがそうさせてくれているのだ。年下の人間と話すのは苦手だったはずだ。それでも、眩しいくらいの明るさを放つ彼女にやられていつの間にか暖かな笑いがそこに発生している。

そろそろ私の占いを始める、という時間になり年下の彼女は帰り支度を始めた。その最中もずっとマスターと冗談めいた言い合いをしている。私の周りにいないような勢いの良さに、思わず私も「幸せにね」と声をかけていた。

 

「ねえ、彼女走って帰っていってますよ」

外まで彼女を見送ったカフェのスタッフが呆れたように言う。嵐が過ぎ去ったように静かになった店内で、私は思い出し笑いをしてしまった。

予約通り占いをしてもらい、そのカフェを後にした。普通では考えられないような大騒ぎをした後だったので、少し疲れている。私はといえば安定を求めず自分のやりたいように幸せになりなさい、ということを伝えられたのだが、マスターも思わず

「まあ、やりたいことやりすぎると、ああなっちゃうのかもしれないけど……」

と年下の彼女を思い返すように呟いていた。

急に一人になり、なんとなくあの騒がしさを忘れたくない私は、そのまま帰るのをやめて前述の馴染みの喫茶店に向かうことにした。少し余韻を感じる時間が必要であった。しばらく行っていないといえ体は覚えている。すぐにその喫茶店を見つけることができた。

よし、ここはまだ煙草を吸えるな、と喫茶店の外壁に付けられている「喫煙可能店」のプレートを見てほっとした。都内はもうほとんど喫茶店や居酒屋でも煙草が吸えなくなっている。困ったもので昔から喫煙可という看板を守り続けていた店も、ここのところ時代の流れに押されどんどん禁煙店に鞍替えをしている。扉を開けると、記憶のままの薄暗い店内が私を迎えてくれた。まだ夜とは言えない時間だが席の八割は先客で埋まっている。小さなソファのある席に座ってアイスココアを頼んだ。

待っている間、煙草を吸いながら店内をちらと見渡してみる。三人くらいの若い女性がきゃっきゃと楽しそうにおしゃべりしているテーブルがあれば、一人で物思いに耽っていそうな渋い男性客もいた。スケートボードを壁に立てかけてヒップホップ音楽の話をしている男性二人組がいて、近くにはその客と楽しそうに話している従業員もいる。

アイスココアが席に届いた。焦げ茶色のココアの上には、柔らかなホイップクリームがかけられている。ひと口飲むと、ココアといって思い浮かべるような味ではなく、ふわりと花の香りがするようなオリエンタルな味が口の中に広がる。花の蜜みたいだ、と私は懐かしい気持ちになった。

私が小学生の時、下校中にツツジの花の蜜を吸いながら帰るのが流行っていた。お小遣いも少ない中で、いかに空腹を満たすかを考え一定数の子供がたどり着くのが、花の蜜を吸うことだった。あれも実はすごく美味しいというものではなかったが、夕日が差し込む中友人たちと騒ぎながら甘さしか感じない花の蜜を吸うのは、結構面白いものであった。このアイスココアはその味に近い甘さがある。
ココアのテクスチャーはさらりとした水分量を多く感じるものである。飲み口はさっぱりとしているが、その独特な甘さゆえ一気に飲み干すことは難しい。少しずつしか飲めないその甘さも、小学生の時に見た気怠い夕日を思い出させてくれる。ノスタルジック。

今日はいろいろ、昔を思い出す日だったなと心の中で呟いた。自分の生まれ育った地に赴くことで何か初心にかえれるような気分になるかもしれない、という期待を持っていたのだが、図らずしも考えていたよりも直接的に自信を振り返る出来事に出会ってしまった。

昔、早口で何を言っているかわからないと言われてしまったことがある。その時はそこまで早口に喋っているつもりはなかったのだが、今日の年下の彼女を見ているとそう言われた意図がわかるような気がする。
考えているより自分は大人になったのかもしれない。

「ねえ、だから言ってるじゃん! あたし、一年後には絶対付き合ってみせるから!」

近くのテーブルの女性が身を乗り出して連れの女性に宣言をしているのが聞こえた。私の席からかろうじて見える彼女の顔は、決意に満たされ晴れ晴れとしている。

今日は人の宣言ばかり耳に入るな。苦笑する。私はイヤホンをつけFINAL SPANK HAPPYの「エイリアン・セックス・フレンド」を流し私は一人の世界に入ることにした。

アイスココアを啜った。それで今日は終わった。

Acne 財布 買った [検索]

服飾の専門学校を出てから、もう5年が経った。服、服、服にまみれていた学生時代を後にしても、新しいアパレル製品を購入するときのときめきは忘れられない。

「結構財布、使い込んでんだね」
何日か前に、友人から言われてはじめて気づいた。元カレからもらったハンドメイドのミニ財布が思った以上にボロボロになっていた。クリーム色のキャンバス地に防水加工を施した粗っぽさの残る財布なのだが、このラミネートのような防水加工のせいなのか、なかなか黒く擦れた汚れが落ちないのだ。

ふと、この財布を買ってもらうときに色を黒にするか迷ったことを思い出した。汚れも気になるし、黒のほうがいろいろ都合がいいかも.......と思って黒をねだろうと思ったのだが、元カレの熱い後押しでこのキャンバス地のものを選ぶことになったのだった。
やっぱ黒にすればよかったのかな~と友人にこぼしたら、「せっかく買ってもらったのに」ととがめられた。真っ当な意見だ。

そんなこともあり、いい機会だし新しい財布を買おうと思ってからすぐ表参道の駅に降りていた。

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Acne Studiosの三つ折り財布を買った。
二個前くらいの財布から長財布ではなく、二つ折りや三つ折り財布に移行してそのかさ張らなさに感動したので小さい財布を買うことは心に決めていた。それに、世間的にも小さい財布は流行っているのもあり、選択肢が多そうなのも魅力的だった。

今まで好んでブランド物を買うことは少なかった。金銭的な問題と、どうせ買うならかぶらない方がいいじゃん!と何となくわかりやすいブランドを目指さず、大衆的に知られていないブランドを買うことの方が多かった。
でも、別にわかりやすいブランド物が欲しくないわけではなかった。ロエベだって、マルジェラだって、ジルサンダーだって好きなブランドだ。次のボーナスでマルジェラの5ACを狙っている自分もちゃんと存在する。特に、様々なブランドのミニ財布ブームも相まってAcneの財布に決める前に割と悩んだ。

最後まで悩んでいたのは、マルジェラの財布だ。ロエベのマークがアクセントでついているミニ財布もよかったけれど、さすがにそのシンプルさに6、7万~出す勇気はなかった。そこに投資するよりはお金をためて鞄を買う方が満足度が高いと私は思ったし。
マルジェラの財布はいろんな型があり、当然しぼのついた皮で作られた、かわいらしい三つ折り財布も存在する。高いんだよな~~~でもかわいいな~と思っていたところに、Acneの三つ折り財布を発見する。

前々からAcneのレザーグッズはミニマルでポップなカラーも多く、かわいいなとは思っていた。いまはどんな形の財布が出ているのだろうと探したところ、二つ折りの少し大きめな(ギャルソンの二つ折り財布に似ている)二つ折りの財布と、三つ折りの財布が出ていることが分かった。どちらもロエベやマルジェラに比べたら手が届きやすい価格だ。
二つ折りのほうが使いやすそうだし、何よりレビューにて三つ折り財布には一万円が入らず、折りたたまないと入らないことが結構なデメリットされていることが分かった。

それでもなんとなく、ミニマルさにひかれて三つ折り財布が気になってしまう私。これは実際に見に行ってみないとわからんな、と四連休の最初に表参道にあるAcneの実店舗に向かった。
見比べてみると、二つ折りの方はそこまでがばっと開くものではなく、90°くらいが限界のようだった。なので三つ折りの財布を買うことは決まりとして、色で少々悩んだ。あまり色物を買わない私が、なぜかアーモンドブラウン(購入した色)がとてもかわいく見えてきて、実店舗に行く前はこの色一択だと思っていたが、黒も皮の滑らかさ、しっとり感がきれいなのと、ミニマルな形には黒のほうが似合っている。しばらく考えたが、やはり色の可愛さでアーモンドブラウンを購入することにした。
このブラウンは普通のブラウンに比べると少し色が鮮やかで、レンガ色っぽさを持っているが重くならない不思議な色だ。Acneのモダンなポップさが出ている気がする。

そうして久しぶりに自分で財布を買った私は、少しあこがれていたサーモンピンク色のAcneのショッパー片手に表参道をぶらついて帰宅した。
Acneのショッパーがあるだけで、表参道に受け入れられている気がする。少し大人になったような気がする。

 

余談

Acneで対応してくれた男の店員さん、私よりもきっと若くて顔が小さくて、背も高身長のスタイルがめちゃくちゃ良いひとだった。まぶしく見えて、とても怖かったが接客も優しく、デニムの試着も勧めてくれた。もちろん買う予定はないのだが、やっぱりAcneのデニムは将来一本くらい持っていたいなと思わせてくれる仕上がりだった。
だが、店員のスタイルが良すぎのため、普段は標準より背が高いためスタイルが悪くてもギリギリ見れていた私が、死ぬほどちんちくりんに見えて消えたくなった。

最近食べたもの

6月5日
ネパールのカレーと総菜の定食、ダルバートを食べた。アチャールがウマ~だが、本場の人がやっているので全体的なえぐみが存在した。

6月7日
用事が終わって帰宅中、途中下車をして南インドカレー屋に入った。ミールス目当てに突撃したが残念ながらランチでは提供しておらず。代わりに食べたパラタ(ナンと大体似たような生地でつくったぐるぐる巻かれたパイ状のもの)がものすごくおいしくて、しばらくパラタの虜になる。

6月12日
吉祥寺で行きたいスパイス料理屋があったが休憩中で行けず。無印で手作りナンセットを買ってパラタを作ってみる。まあまあのうまさだったので、ここでパラタへの執着は薄れる。

6月13日
ルーロー飯を人と作る。肉を大きく切りすぎてあのどろどろしたあんかけみたいなのは作れなかった。ゆでたまごを作るのに失敗して、全部温泉卵になった。温泉卵は好きなので、若干うれしさが勝つ。
付け合わせに野沢菜わかめとサラダチキン和えを出したが、見た目の最悪さのわりに夏に食べるのにちょうどよく、サラダチキンに興味を持ち出す。

6月15日
市販のサラダチキンのえぐみ?に気づきだして自分で作ったほうが早いと思い始める。昔人から教わった鳥ハムの作り方を応用して作ってみた。塩こうじにも漬けたので柔らかくておいしかった。豆乳めんつゆラー油そうめんをつくってサラダチキンも入れておいた。揖保乃糸おいしい。

6月18日
体重を気にしてサラダスープをしぶしぶ作り始める。かぶ、えのき、青梗菜、玉ねぎでつくったら色味のない変なスープになった。食べていると「すごく食べたいものを食べられていない」といった疲労が襲ってくるので、ここで痩せておきたい。
昼は出前館で頼んだミスドを食べた。最悪だ。

愛しのミールス

南インドの主食の一つ、カレー定食の「ミールス」に魅了されてから結構経つ。カレー自体は特段好きでも嫌いでもなかったが、このミールスの魅力には非常に抗い難く、提供している店を見かけると居ても立ってもいられず突撃してしまう。気軽に外食がしにくくなった現在だからこそ、未だ気になっているが行けていない南インドカレー屋はたくさんあるが、数少ないチャンスを逃すものかと友人とのランチにはミールスを選ばせてもらうこともしばしばある。

そもそもミールスとは。
ミールスとネット検索すると、「主に南インドで提供される複数のカレーと副菜、米で構成された定食」と言う表現がされていた。シンプルな説明といえばそれまでなのだが、そもそも、本来インドカレーというものは北インド南インドで大きな違いがあるということを私は知らなかった。
とはいえ私はそこまでインドカレーに詳しいわけではないので、話半分に聞いてほしいのだが、たしかにナンと一緒に食べる北インドカレーと、バスマティライスなどのインディカ米と食べるミールスは方向性が全くと言っていいほど違う。

インドカレーと聞いて、多くの人が想像するのは北インドカレーだろう。バターチキンカレーやサグチキンカレーなどに代表されるような、粘度が高く辛みもしくは甘味が強調されたカレーと、バター、ギーたっぷりのナンを一緒に出される。甘さの強いナンと油分たっぷりのバターチキンカレーは非常に相性が良い。有名チェーンだと、ターリー屋というナンを無限に勧めてくる(これはどのインドカレーチェーン店も一緒か)リーズナブルなインドカレーチェーンに入店した人も少なからずいると思う。

対して、南インドカレーの中のミールスという形式で出されるカレーは、非常にサラサラとした、イメージ的にはスープカレーを彷彿とさせるようなものだ。あと、これは私が食べてきたものがそうなのか、私が辛さに強いのかわからないが、ミールスについてくるカレーは辛さというよりは酸味やスパイスの刺激が強いものが多いと感じる。

ミールスは欧風や日本の家庭料理で出てくるようなカレーライスと少し勝手が違う。自分自身そこまで気にしたことはないが、一応食べ方は定まっているらしい。東京都内にいくつかある、ミールスで有名な南インドカレーの「エリックサウス」が食べ方について説明していたので載せておく。

blog.livedoor.jp


簡単に記載すると、

1、カレーやサンバル(カレーとスープの間のような汁物)、ラッサム(私はこれをインド版味噌汁だと思っている)をそれぞれライスにかけて楽しむ
2、パパド(豆をすりつぶしてあげた薄い煎餅のようなもの。大好き)やヨーグルトをかけつつ味変を楽しむ。
3、全ての汁物をライスにかけてまぜながら食べ切る。

という感じだろう。

実は、ミールスの虜になる前に一回だけ、前述した「エリックサウス」に訪れたことがある。その当時アジア料理全般がそこまで好きではなかった事や、そもそも食べ方がうまく伝わらず普通のカレーライスのように食べてしまったため、あまり好みではないと感じていた。「エリックサウス」では親切にも、硬めで水分が少なめのインディカ米(バスマティライス)ともちっとしたターメリックライスの2種類のライスをミールスにつけてくれていた。ターメリックライスはほぼほぼ完食は白米と変わらないが、バスマティライスをはじめとするインディカ米はそのまま食べるとパサつきというか、モロっとした食感のため、想像していた「米」とはかなり異なるものであった。
私個人としては食べ物の食感が受け入れられるかどうかはとても重要なことだった。なので、また食べたいと思うことは正直しばらくなかった。

しかし、インディカ米、とくにバスマティライスのその感触はミールスで提供される汁気の多いカレーなどに合わせた「その食感であるべき」ものだったことを後々知ることになる。


今年3月、まだ少し肌寒い季節、私は人と一緒に西荻窪の地でランチを探していた。同行者はアジア料理が好きな人物であることと、西荻窪が中央線の中でもアジア料理店が非常に多いことから、「今日のごはんはアジア料理かな……」と察していた。この同行者とたびたび食事を取るようになったおかげで、以前よりはアジア料理の中で好きな店や料理が出来つつあったので、今回の店選びは任せることにした。

そして提案されたのが、西荻窪の駅すぐの「大岩食堂」であった。

https://oiwashokudo.jimdofree.com/

その時の感想をリアルタイムで書いた日記はこれ
この店のミールスのすごいところは、ラッサムの清涼感だ。セロリかパクチーか、どちらにせよえぐみの強い薬味を使っていることに間違いはないと思うのだが、そのえぐさを全て取り除いて爽やかさだけを残した風味がとてもいい。パクチーのえぐさが苦手な私でもぐいぐい飲める汁物だ。「大岩食堂」でミールスの美味しさと美しさに感動してから、未開拓だったアジア料理を掘りつつあるが、パクチーの強さも店によってだいぶ違いが出ることに気づいた。パクチーの量というよりは、パクチー自体の味に差が結構出る。
いちばん強烈だったのは、現地の方が営むパキスタンカレー屋のパクチー。あれはすごかった。

バスマティライスの食感に話を戻すが、この「大岩食堂」に行ったことによって私がミールスの食べ方を間違えていたことに気がついた。
欧風や日本風のカレーライスを食べるとき、なんとなくぐちゃっと混ぜて食べるのが苦手で、米の上にルーを乗せるようにして食べていた。硬めのカレールーと粘り気のある白米だからこそその食べ方でも美味しくいただけていたのだが、粘度低めのミールスのカレーと硬めのバスマティライスだとうまくカレーと米が混ざり合わず、擬音でいうと「ポソポソ」みたいな食感になる。これはそもそもミールスというものが、南インドではルーも米も混ぜて食べてしまう、なんていう食べ方のため、それに合わせた米の固さにしているのだ。混ぜて食べると、ライスの硬さとカレーのみずみずしさがマッチして、スパイスの風味がはっきりわかるような気がする。
たしかに白米のような粘り気のある米に混ぜても、なんだか違うのだ。あの日食べたミールスの美味さには及ばない。

あれもこれも、カレーが運ばれるまでに暇潰しで見ていた「大岩食堂」のメニュー表にあった、ミールスの食べかたをみていなければ気づかなかっただろう。と同時に、「エリックサウス」の食べ方もしっかり目を通していればもう少し早くミールスの美味さに気づけたのかもしれない。
その後、「エリックサウス 八重洲店」に訪れてミールスに再チャレンジしたが、まあ美味しかった。南インドカレーを避けてきた数年を取り返して欲しい、過去の自分。

日記

一年前にこのような状況下になってから、今日、初めてファミレスでテイクアウトを頼んだ。
少し残業をして、時間を見ると20時前。急げば近くの大戸屋に間に合うかもしれないと、急いで帰り支度をして会社を出る。だが、今すぐに何かを腹に詰めれるほど空腹ではなかった。ちょうど17時ごろに職場の人間にパフェを奢ってもらったのだ。

そのパフェは、ファミレスやコンビニにあるような軽いものではなくパフェ専門店の中にある本格的なものだった。そもそもパフェがそこまで得意じゃないにもかかわらず、その店に誘ったのは私自身だった。
単価が1800円するだけあって、パフェ自体はとても美味しくボリュームもかなりあった。特に私が頼んだパフェは求肥やクリームがたっぷりと入ったものだった。お腹が空いていない。甘ったるい胃を抱えながら渋谷の道を早歩きする。このまま大戸屋にいったとて気分良く食べることができるのだろうか。私は歩く速度を下げながら、どうしようどうしようと気分が乗らない体を必死に前に動かす。

 「そしたら持ち帰りして家で食べればいいじゃんね〜」

 急に、本当に唐突に頭の中にギャルが出てきてそう言った。
考え事をしているとたまに脳内で別の人格が出てきて会話してしまうことがある。人に何かを話すと自分の意見や気持ちがまとまってクリアになることがあるだろう、セルフでそれをこなすほど私は友人が少ない。
家までは大体1時間ほどだった。それくらい間をおいたら少しは空腹感を取り戻せるかもしれない。最悪、持ち帰ってすぐ食べなくとも、風呂上りや明日の朝に食べたっていい。自分の胃が強いことを思い出したので、大戸屋ではテイクアウトをすることにした。気持ちが固まると行動が早くなる。一時速度を下げていた私の足は迷いなく大戸屋に歩みを進めた。

とはいえファミレスでテイクアウトを頼むのは初めてのことだった。大戸屋についた私は「お一人さまですか?」と聞いた店員に「持ち帰りなんですけど......」と言ってみる。牛丼屋なら持ち帰り専用の注文スペースがあるが、ここには見当たらない。
私の言葉に少し戸惑った店員は、それでも席を勧めてくる。えっ、と思った。私の言葉が聞こえていなかったのだろうか、と不安になったが別の店員がそれでも席を勧めてきたのでとりあえずついていくことにした。
これで店員が注文を聞きに来て、もし持ち帰りの旨を伝えたときにやっぱり別の注文スペースに案内されたらどうしよう、と思った。いったん席についてまた席を立つのは少し恥ずかしいな。いつもならそこまで考えなかったのだが、今日はなんとなく疲れていて想定外の恥ずかしさを受けることさえ避けたかった。気持ちのキャパはわりといっぱいだ。そういう時は少しの感情の揺れが人を不安定にさせる。

ごにゃごにゃ考えていた私をよそに、思ったよりもスムーズに注文が進んだ。そうか、今は待たせてしまうから、うろうろ店内にいられるより席についてもらう方がいいのか。
時間をみると20時15分を回っていた。そろそろラストオーダーの時間なのだろう。レジが混むことを考えると尚更じっとしてもらうのがいい。少し感動した。私が来ていない間にファミレスは進化している。

昔からあまりファミレスに縁のない人生だった。何か重大な理由があったわけではないが、小さい頃から家族でファミレスにいくことが少なかった。幼少期の私は確かにわがまま言いたい放題で、これを食べたいと言った次の瞬間には別のものが食べたいと行ってしまうような、非常に面倒臭い子供だった。相手をしていられないと両親も思ったのか、結果混み合いやすいファミレスやジャンクフードの店に連れて行かれることは少なくなった。
そのまま育ってきたので、自分で友人たちとご飯を食べるようになった時も、サイゼリアとかマックとか、ほんとうにメジャーな店にしか行くことはなかった。友人に一度も日高屋に行ったことがないと言うと驚かれる。大体は高校生あたりで行くらしい。

ぼーっとしていると店員が袋に入れた弁当を持ってレジに促してくれる。頼んでからの間、結局どの席の客もレジに向かって行かなかったので、席について何も頼まずレジに行く人みたいでちょっと面白かった。
弁当は微かに暖かかった。電車に乗って席に座った時、膝の上に載せていたら絶妙な温度で体の温度を少し上げ、そのせいか私は眠ってしまった。そのまま一駅寝過ごした。疲れた。