ふるさとへ

少し前に実家に帰省していた母から、ご当地のお菓子が送られてきた。
三つの和菓子が箱単位で自宅にやってきた。一人暮らしには量が多く、見事に甘いものばかりで、しょっぱいものでも入れたら良かったろうにと思っていたが、母だけではなく祖父、祖母も一緒に買ってくれたとのことで私は素直に感謝の連絡をした。

実は、母の生まれはその地ではなく北海道だ。小学校の頃に国鉄に勤めていた祖父の転勤により、長男を残し家族で別県へ移住することになった。私の母は箱入り娘でどちらかというと「不思議ちゃん」に属する人格だったため、そこへ移住したとき、転校生というカテゴリに入っていたのもあり学生生活での人間関係にかなり苦労した。という話を私の学生時代によく聞いていた。その県と彼女の学生時代の苦労になんの因果関係があるのかは私にはわからない。

家庭ではしばらくその地の話題を出すことはタブーとされていた。
その言葉を聞くたびに母の記憶の引き出しが決壊し、過去の話が止まらなくなる。転校時にいじめられた話、先生に理不尽な理由で生活態度の指導をされた話、それらを私(と父)が聞いているかも関係なく、その話は呪いのようにリビングにぶちまけられていた。
私はといえば、あんまり地域での人間性の違いを感じていなかったためその話には興味がなかった。土地によるものではなく、当時関わっていた人間がたまたまそうだっただけじゃん、そのくらいにしか受け止めていなかった。
そこがどの県でも、同じことをされていれば話に出てくる土地の名前が変わるだけだ。

なので、今の実家がある県に帰省するというのも、その場所のお土産を買うというのも今まで私が見てきた母の姿からは意外性を感じる行動だった。
たまたま母が過敏になっていた時期は別件で家庭の問題があったということも関係あったのかもしれない。LINEで「久しぶりに帰ったら、いろいろ変わっていたよ。面白かった」という連絡を受け、少しほっとした。ちゃんと彼女の中でふるさとになっているのだ。生まれ故郷の神奈川・横浜に思い入れがない私が思うのも変な話だが。

ちなみに、私は母方の実家がある県と父方の実家がある広島に行った記憶はあるが、小さいころに行ったという北海道の記憶は全くない。かなり昔に行ったのでしょうがないが、実家のアルバムの中で北海道の田んぼ?でチャッキーみたいな顔をしてポーズをとっている幼少期の自分を見るたび不思議な気持ちになる。
北海道にもし行く機会があれば、いくらがお替り自由なホテルに泊まりたい。(人生の中で好きな食べ物ランキング1位がいくらなため)
そもそも旅行が好きというわけではないので、今後の人生で一度もいかない可能性があるけど。